新古今和歌集 巻第三 夏歌 238番
誰かまた
誰がまた、花橘の香りによって私を思い出してくれるだろうか。私も昔の人となってしまったならば。
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現代語訳
誰がまた、花橘の香りによって私を思い出してくれるだろうか。私も昔の人となってしまったならば。
意訳
花橘の香りは昔の人を思い出させるという。私が死んで昔の人となったら、誰がこの香りで私を思い出してくれるだろうか。
語釈・文法注
- われも昔の人と
- 自分も死んで、思い出される昔の人となる。
和歌
- 作者
- 藤原俊成(ふじわらのとしなり(しゅんぜい)) 1114–1204
藤原定家の父。『千載和歌集』を撰び、歌論書『古来風体抄』を著した。余情と「幽玄」を重んじる歌風で、御子左家の歌学の基礎を築き、新古今時代の歌人たちを導いた。法名は釈阿。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第三・夏歌・238番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 題しらず(詠まれた事情は伝わらない)。
修辞
- 本歌取り
- 「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今集、読人しらず)をふまえる。
解説
俊成の歌。古今集の名歌の「昔の人」を自分自身に置き換え、老いの身の感慨を詠む。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、42頁(コマ31)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日