古典ライブラリー

新古今和歌集 巻第二 春歌下 165番

くれぬとは

紀貫之(きのつらゆき)

春はもう暮れてしまったとは思うものの、藤の花が咲いている家では、春が長く続いていることだ。

作者
貫之(紀貫之)
  1. 1淸愼公せいしんこう淸愼公せいしんこうせいしんこうののの家いへ家いへいえののの屏風びやうぶ屏風びやうぶびょうぶににに詞書
  2. 2くれぬとくれぬとくれぬとははは初句
  3. 3思おも思おもおもふものからふものからうものから二句
  4. 4藤ふぢ藤ふぢふじののの花はな花はなはな三句
  5. 5さけるさけるさける宿やど宿やどやどにににははは四句
  6. 6春はる春はるはるぞぞぞ久ひさ久ひさひさしきしきしき結句

引用の仕方

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現代語訳

〔詞書〕清慎公(藤原実頼)の家の屏風に添えた歌。

春はもう暮れてしまったとは思うものの、藤の花が咲いている家では、春が長く続いていることだ。

意訳

暦の上ではもう春は暮れたと思うが、藤の花が咲いているこの家では、まだまだ春が続いているように感じられる。藤の花を、家の長い繁栄にたとえて祝う。

語釈・文法注

思ふものから
思うものの。
春ぞ久しき
春が長く続く。「ぞ」の結びで連体形。

和歌

作者
紀貫之(きのつらゆき) 872?–945?
『古今和歌集』の撰者の中心で、仮名序を書いた。御書所預などを経て土佐守となり、任期を終えて帰京する旅を『土佐日記』に書いた。理知的で技巧に富む歌風で、『古今和歌集』に最も多い百首あまりが入る。三十六歌仙の一人。
出典
『新古今和歌集』巻第二・春歌下・165番
歌体
短歌
状況
詞書「淸愼公の家の屏風に」(清慎公(藤原実頼)の家の屏風に添えた歌)。

解説

貫之の屏風歌。清慎公は藤原実頼の諡(おくりな)。

関連

出典

底本
『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、29頁(コマ24)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日