万葉集 巻第二十 4425番
防人に
「防人に行くのは誰の夫か」と、のんきに尋ねる人を見るのがうらやましい。何の物思いもしないで。夫を防人に送り出す妻の歌。

題詞(昔年の防人の歌)
現代語訳
「防人に行くのは誰の夫なの」と尋ねている人を見るのが、うらやましいことよ。何の物思いもしないで。
意訳
防人として遠い九州へ旅立つ男たちを、村の人々が見送っている。その中で「あれは誰の夫かしら」と、他人事のように尋ねる人がいる。その人は何の心配もないのだ。けれども、旅立つのは私の夫である。二度と会えないかもしれない夫を送り出す妻は、無邪気に問う人をうらやましく思う。悲しみを直接言わず、他人との対比で表しているところに、かえって深い嘆きがこもっている。
語釈・文法注
- 防人(さきもり)
- 九州北部の守りにつくため、主に東国から送られた兵士。任期は三年で、旅費や食料は自分で用意しなければならず、重い負担であった。
- 夫(せ)
- 女性が夫や恋人を呼ぶ語。
- 羨しさ(ともしさ)
- うらやましいこと。「ともし」はうらやましい。
文法・本文
- 見るが羨しさ
- 「さ」は形容詞の語幹に付いて名詞をつくる接尾語で、詠嘆をこめる。見ることのうらやましさよ。
- 原文
- 原文は一字一音の万葉仮名で書かれている。防人歌は、各国の役人が集めて提出したものをそのまま書き記している。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第二十・部立なし・4425番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 天平勝宝7歳(755)2月、武蔵国の防人を引率する役人の安曇三国が提出した歌の中に、「昔年の防人の歌」として伝わる八首の一首(4425〜4432番)。作者は防人の妻とみられる。
修辞
- 対比
- 何も知らずに問う人と、夫を送り出す自分とを対比させ、悲しみを際立たせる。
- 倒置
- 「見るが羨しさ 物思ひもせず」と、うらやましさの理由を後に置く。
解説
防人は、九州北部を守るために送られた兵士で、主に東国の農民が選ばれた。家族と別れて遠い九州まで旅をし、三年の任期を務めなければならず、その途中で命を落とす者も少なくなかった。巻第二十には、天平勝宝7歳(755)に兵部少輔であった大伴家持が、難波に集まった防人たちから集めた歌が多く収められている。
この歌は、防人として出ていく夫を見送る妻の歌である。「誰が夫」と軽い気持ちで尋ねる人と、夫を送り出す自分との落差を、「うらやましい」という意外な言葉で表すことで、言葉にできないほどの悲しみを伝えている。防人歌の中でも、残された家族の心を最も痛切に歌った一首として知られる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、738頁(コマ162)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、871頁(コマ199)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日