万葉集 巻第二十 4413〜4424番
枕刀 腰に取り佩き
天平勝宝7年2月、武蔵国の防人とその妻たちの歌十二首。太刀を腰に帯びて出て行ったいとしい夫が帰って来る月はわからないという妻の歌、大君の命を恐れ謹んでいとしい妻の手を離れて島伝いに行くという歌、白玉を手に取って見るように家の妻をまた見たいという歌、旅行く夫が丸寝をするなら家の私も紐を解かずに寝ようという妻の歌、赤駒を山野に放して捕らえられず、多摩の横山を歩いて行かせるのだろうかという妻の歌、わが門の片山椿よ、私が手を触れないまま地に落ちるのだろうかという歌、家では葦火を焚いても住みよいのに、筑紫に着いたら恋しく思うだろうという歌、旅の丸寝で紐が切れたら私の手と思ってこの針で縫いつけなさいという妻の歌、足柄の峰を這う雲を見て偲んでくれという歌、夫を筑紫へやっていとしくて帯も解かずに寝るのだろうかという妻の歌、足柄の御坂に立って袖を振ったら家の妻ははっきり見るだろうかという歌、夫の衣を色深く染めればよかった、御坂を回る時にはっきり見えるようにという妻の歌。
題詞(武藏國の防人の歌)
- 1枕刀枕刀まくらだし麻久良多之4413 大伴部真足女
- 2腰腰こしににに取取とりりり佩佩はききき己志爾等里波伎
- 3眞眞ま愛愛かなしきしきしき麻可奈之伎
- 4夫夫せろろろががが罷罷まききき來來こむむむ西呂我馬伎己無
- 5月月つくののの知知しらららなくなくなく都久乃之良奈久
- 6大君大君おおきみののの於保伎美乃4414 大伴部少歳
- 7命命みことかしこみかしこみかしこみ美己等可之古美
- 8愛愛うつくしけしけしけ宇都久之氣
- 9眞眞ま子子こががが手手て離離はなりりり麻古我弖波奈利
- 10島島しま傳傳づたひひい行行ゆくくく之末豆多比由久
- 11白白しら玉玉たまををを志良多麻乎4415 物部歳徳
- 12手手てににに取取とりりり持持もしししててて弖爾刀里母之弖
- 13見見みるるるのののすもすもすも美流乃須母
- 14家家いえなるなるなる妹妹いもををを伊弊奈流伊母乎
- 15またまたまた見見みてててももももやもやもや麻多美弖毛母也
- 16草草くさ枕枕まくら久佐麻久良4416 椋椅部刀自売
- 17旅旅たび行行ゆくくく夫夫せなががが多比由久世奈我
- 18丸寢丸寢まるねせせせばばば麻流禰世婆
- 19家家いわなるなるなる我我われははは伊波奈流和禮波
- 20紐紐ひも解解とかかかずずず寢寢ねむむむ比毛等加受禰牟
- 21赤赤あか駒駒ごまををを阿加胡麻乎4417 宇遅部黒女
- 22山山やま野野ぬににに放放はかししし夜麻努爾波賀志
- 23捕捕とりりり不得不得かにててて刀里加爾弖
- 24多摩多摩たまののの横横よこ山山やま多麻乃余許夜麻
- 25歩歩かしゆゆゆかかか遣遣やらららむむん加志由加也良牟
- 26我我わががが門門かどののの和我可度乃4418 物部広足
- 27片片かた山山やま椿椿つばき可多夜麻都婆伎
- 28まことまことまこと汝汝なれ麻己等奈禮
- 29我我わががが手手て觸觸ふれれれなななななな和我弖布禮奈奈
- 30地地つちににに落落おちちちもかもかもかももも都知爾於知母加毛
- 31家家いわろろろにににははは伊波呂爾波4419 物部真根
- 32葦葦あし火火ふた焚焚けどもどもども安之布多氣騰母
- 33住住すみみみ好好よけけけををを須美與氣乎
- 34筑紫筑紫つくしににに到到いたりりりててて都久之爾伊多里氐
- 35戀戀こうしけしけしけ思思もははわももも古布志氣毛波母
- 36草草くさ枕枕まくら久佐麻久良4420 椋椅部弟女
- 37旅旅たびののの丸寢丸寢まるねののの多妣乃麻流禰乃
- 38紐紐ひも絶絶たえええばばば比毛多要婆
- 39我我あががが手手てととと附附つけけけろろろ安我弖等都氣呂
- 40此此これののの針針はる持持もししし許禮乃波流母志
- 41我我わががが行行ゆきののの和我由伎乃4421 服部於田
- 42息息いき衝衝づくくくしかしかしかばばば伊伎都久之可婆
- 43足柄足柄あしがらののの安之我良乃
- 44峯峯みね延延はほほほ雲雲くもををを美禰波保久毛乎
- 45見見みとととととと偲偲しぬばばばねねね美等登志怒波禰
- 46我我わががが夫夫せなををを和我世奈乎4422 服部呰女
- 47筑紫筑紫つくしへへえ遣遣やりりりててて都久之倍夜里弖
- 48愛愛うつくしみしみしみ宇都久之美
- 49帶帶おびははは解解とかかかなななななな於妣波等可奈奈
- 50あやあやあやにににかもかもかも寢寢ねももも阿也爾加母禰毛
- 51足柄足柄あしがらののの安之我良乃4423 藤原部等母麻呂
- 52御御み坂坂さかににに立立たしししててて美佐可爾多志弖
- 53袖袖そで振振ふらららばばば蘇埿布良波
- 54家家いわなるなるなる妹妹いもははは伊波奈流伊毛波
- 55淸淸さやににに見見みもももかもかもかも佐夜爾美毛可母
- 56色色いろ深深ぶかくくく伊呂夫可久4424 物部刀自売
- 57夫夫せなががが衣衣ころもははは世奈我許呂母波
- 58染染そめめめましましましををを曾米麻之乎
- 59御御み坂坂さかたたた廻廻ばらららばばば美佐可多婆良婆
- 60ままま淸淸さやかかかににに見見みむむむ麻佐夜可爾美無
現代語訳
〔4413〕太刀を腰に取って帯びて出て行った、いとしい夫が帰って来る月もわからないことだ。
〔4414〕大君のご命令を恐れ謹んで、いとしい妻の手を離れて、島伝いに行くのだ。
〔4415〕白玉を手に取り持って見るように、家にいる妻をまた見たいものだ。
〔4416〕(草枕)旅に行く夫が丸寝をするならば、家にいる私も紐を解かずに寝よう。
〔4417〕赤駒を山野に放して捕まえられず、多摩の横山を歩いて行かせるのだろうか。
〔4418〕わが家の門の片山椿よ、本当にお前は、私が手を触れないままに、地に落ちてしまうのだろうか。
〔4419〕家では葦火を焚いているけれども住みよいのに、筑紫に着いたら、恋しく思うことだろう。
〔4420〕(草枕)旅の丸寝で紐が切れたなら、私の手だと思って縫い付けなさい。この針を持って。
〔4421〕私の旅を嘆いてため息をつくようなら、足柄の峰を這う雲を見ながら偲んでおくれ。
〔4422〕わが夫を筑紫へ送り出して、いとしくて、帯も解かないで、ひどく寂しく寝ることだろうか。
〔4423〕足柄の御坂に立って袖を振ったならば、家にいる妻ははっきり見るだろうか。
〔4424〕色を深く夫の衣は染めればよかったのに。御坂を回って行く時に、はっきりと見えるように。
意訳
武蔵国の防人とその妻たちの歌である。夫の帰りを待つ妻の歌と、妻を思う夫の歌が組になっているものが多い。紐を解かずに寝る誓い、針を持たせる妻の心遣い、足柄の御坂で袖を振れば見えるだろうかという夫と、衣を色濃く染めればよかったと悔やむ妻の歌など、夫婦の情愛が素朴に詠まれている。
語釈・文法注
文法・本文
- 枕刀
- 「まくらだし」。枕元に置く太刀。「まくらたち」の東国語形。
- 夫ろ
- 「せろ」。夫。東国語形。
- 罷き來む
- 「まきこむ」。帰って来る。
- 月
- 「つく」。東国語形。
- 眞子
- 「まこ」。いとしい妻。
- 見るのすも
- 見るように。東国語形。
- 丸寢
- 「まるね」。着物を着たまま寝ること。
- 家
- 「いは」。東国語形。
- 放し
- 「はかし」。「はなし」の東国語形。
- 捕り不得て
- 「とりかにて」。捕まえられずに。
- 歩ゆか遣らむ
- 「かしゆかやらむ」。歩いて行かせるのだろうか。
- 觸れなな
- 触れないで。東国語。
- 葦火
- 「あしふた」。葦を焚く火。東国語形。
- 戀しけ思はも
- 恋しく思うだろう。東国語形。
- 附けろ
- 縫い付けよ。東国語形。
- 針
- 「はる」。東国語形。
- 峯延ほ雲
- 「みねはほくも」。峰を這う雲。
- 見とと
- 見ながら。東国語形。
- 解かなな
- 解かないで。
- 淸に
- 「さやに」。はっきりと。
- た廻らば
- 「たばらば」。回ったならば。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第二十・部立なし・4413〜4424番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平勝宝7年2月、武蔵国の防人とその妻たちが詠み、防人部領使が進上した歌。
修辞
- 贈答
- 夫の歌と妻の歌が組になっているものが多い。
- 東国方言
- 「せろ」「つく」「いは」「はかし」「ふた」「はる」など、東国の言葉を多く交える。
解説
武蔵国は今の東京都・埼玉県と神奈川県の一部。防人の妻の歌が多く採られているのが特色である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、737頁(コマ161)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、868頁(コマ198)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日