万葉集 巻第十九 4292番
うらうらに
のどかに照る春の日差しの中、ひばりが空高く舞い上がる。それなのに心は悲しい、ひとりもの思いにふけっていると。「春愁三首」の最後の一首。

題詞二十五日作れる歌一首
現代語訳
うららかに照っている春の日差しの中に、ひばりが舞い上がって、心は悲しいことだ。ひとりもの思いにふけっていると。
意訳
空は明るく晴れわたり、ひばりは楽しげにさえずりながら高く昇っていく。外の世界が明るければ明るいほど、ひとりもの思いに沈む自分の心の暗さが際立つ。家持は、その対比を通して、言葉にしがたい孤独と憂いを歌う。左注には、「悽惆(いたみ悲しむ)の意は、歌でなければ払いがたい」と、歌を作った理由が記されている。
語釈・文法注
- うらうらに
- うららかに、のどかに。
- 獨しおもへば
- 「し」は強意の副助詞。ひとりで物思いをしていると。
文法・本文
- 照れる
- 「照る」に存続の助動詞「り」の連体形「る」が付いた形。照っている。
- 情悲しも 獨しおもへば
- 「獨しおもへば情悲しも」の倒置。「も」は詠嘆。
- 左注
- 歌の後に「春日遲遲として、鶬鶊正に啼く。悽惆の意、歌に非ずば、撥ひ難し。仍りて此の歌を作り、式ちて締緒を展ぶ」とある。中国の『詩経』の句をふまえ、悲しい心は歌によってしか晴らせないと述べる。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十九・部立なし・4292番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平勝宝5年(753)2月25日、大伴家持が都で詠んだ歌。2日前の4290・4291番とあわせて「春愁三首」と呼ばれ、巻第十九の最後に置かれている。
修辞
- 明暗の対比
- 明るい春の日差しと空高く舞うひばりに、ひとり沈む心の暗さを対比させる。
- 倒置
- 「情悲しも 獨しおもへば」と、悲しみを先に述べ、理由を後に置く。
解説
「春愁三首」の最後の一首であり、巻第十九を締めくくる歌でもある。左注にある「春日遲遲」「鶬鶊(うぐいす、またはひばり)正に啼く」は、中国最古の詩集『詩経』の句をふまえたもので、漢詩の教養をもとに、春のもの憂い心を和歌で表そうとした家持の意識がうかがえる。
明るい光と鳥の声に満ちた春の景色の中で、かえって深まる孤独を詠んだこの歌は、近代になって特に高く評価され、家持の最高傑作の一つとされている。外の世界の明るさと内面の憂いとの対比は、のちの日本の詩歌に受け継がれていく、繊細な心の表現の始まりといえる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、706頁(コマ146)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、834頁(コマ181)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日