万葉集 巻第十九 4214〜4216番
天地の 初の時ゆ
天平勝宝2年5月27日、越中守大伴家持が、婿である右大臣藤原豊成家の二郎が母を亡くしたのを弔って詠んだ長歌と反歌二首。官人は大君に仕えるものと定まっているので、命を受けて鄙の国を治めに来て、山河に隔てられ便りは通っても会えない日が重なっている折に、道を来た人の伝言によると、あなたはこの頃うら寂しく嘆いておられるという、世の中はつらく、咲く花も時に移ろい、この世の身も無常であった、母君がどうして、時もあろうに、惜しい盛りに霧が消えるように露が消えるように亡くなってしまったと、まがごとを人が告げたのか、遠くに聞いても悲しく涙が止まらないと詠む長歌と、遠くからでも君が嘆いていると聞くと声を上げて泣けてくるという歌、世の無常は知っているだろうに、ますらおとして心を尽くして嘆くなという歌。
題詞挽歌一首并に短歌
- 1天地天地あめつちののの初初はじめののの時時ときゆゆゆ天地之 初時從長歌
- 2現身現身うつせみののの八十八十やそ伴伴ともののの男男おははは宇都曾美能 八十伴男者
- 3大王大王おおきみににに服從服從まつろふふうものものものととと大王爾 麻都呂布物跡
- 4定定さだまれまれまれるるる官官つかさにににしししあれあれあればばば定有 官爾之在者
- 5天皇天皇おおきみののの命命みことかしこみかしこみかしこみ天皇之 命恐
- 6夷夷ひな放放ざかるるる國國くにををを治治おさむむむととと夷放 國乎治等
- 7あしひきあしひきあしひきののの山山やま河河かわ阻阻へなててて足日木 山河阻
- 8風風かぜ雲雲くもににに言言ことははは通通かよへへえどどど風雲爾 言者雖通
- 9正正ただににに遇遇あははわぬぬぬ日日ひののの累累かさなれなれなればばば正不遇 日之累者
- 10思思おもひひい戀戀こひひい氣氣いき衝衝づききき居居おるるるににに思戀 氣衝居爾
- 11玉玉たま桙桙ほこののの道道みち來來くるるる人人ひとののの玉桙之 道來人之
- 12傳言傳言つてごとににに吾吾われににに語語かたらくらくらく傳言爾 吾爾語良久
- 13愛愛はしきしきしきよしよしよし君君きみははは此此こののの頃頃ごろ波之伎餘之 君者比來
- 14うらうらうらさびさびさびててて嘆嘆なげかひかひかい坐坐いますすす宇良佐備氐 嘆息伊麻須
- 15世世よのののなかなかなかののの憂憂うけくけくけく辛辛つらけくけくけく世間之 厭家口都良家苦
- 16開開さくくく花花はなももも時時ときにににうつろふうつろふうつろう開花毛 時爾宇都呂布
- 17現身現身うつせみももも常常つね無無なくくくありありありけりけりけり宇都勢美毛 無常阿里家利
- 18たらちねたらちねたらちねののの御御み母母ははののの命命みこと足千根之 御母之命
- 19何何なにしかしかしかももも時時ときしししはははあらあらあらむむんををを何如可毛 時之波將有乎
- 20まそまそまそ鏡鏡かがみ見見みれれれどもどもども飽飽あかかかずずず眞鏡 見禮杼母不飽
- 21珠珠たまののの緒緒おののの惜惜おしきしきしき盛盛さかりににに珠緒之 惜盛爾
- 22立立たつつつ霧霧きりののの失失うせせせぬるぬるぬる如如ごとくくく立霧之 失去如久
- 23置置おくくく露露つゆののの消消けぬるぬるぬるががが如如ごと置露之 消去之如
- 24玉玉たま藻藻もなすなすなす靡靡なびききき臥伏臥伏こいうししし玉藻成 靡許伊臥
- 25逝逝ゆくくく水水みずののの留留とどめめめかねかねかねつつつととと逝水之 留不得常
- 26枉言枉言たわことややや人人ひとののの云云いひひいつるつるつる枉言哉 人之云都流
- 27逆言逆言およずれかかか人人ひとののの告告つげげげつるつるつる逆言乎 人之告都流
- 28梓梓あずさ弓弓ゆみ爪爪つまよるよるよる音音おとののの梓弧 爪夜音之
- 29遠音遠音とおとにににももも聞聞きけけけばばば悲悲かなしみしみしみ遠音爾毛 聞者悲彌
- 30庭潦庭潦にわたずみ流流ながるるるるるる涕涕なみだ留留とどめめめかねかねかねつつつももも庭多豆水 流涕 留可禰都母
- 31遠音遠音とおとにににももも遠音毛反歌
- 32君君きみががが嘆嘆なげくくくととと君之痛念跡
- 33聞聞ききききつれつれつればばば聞都禮婆
- 34哭哭ねのみのみのみししし泣泣なかかかゆゆゆ哭耳所泣
- 35相相あい念念おもふふう吾吾われははは相念吾者
- 36世世よのののなかなかなかののの世間之反歌
- 37常常つね無無なきききことことことははは無常事者
- 38知知しるるるらむらむらんををを知良牟乎
- 39情情こころ盡盡つくすすすななな情盡莫
- 40丈夫丈夫ますらおにににしししててて大夫爾之氐
現代語訳
〔4214〕天地の初めの時から、この世の多くの官人たちは、大君にお仕えするものと定まっている役目であるので、天皇の御命令を恐れ謹んで、遠い鄙の国を治めようと、(あしひきの)山や河に隔てられ、風や雲に託して便りは通うけれども、じかに逢えない日が重なるので、思い恋い、ため息をついているところに、(玉桙の)道をやって来た人の伝言で、私に語ったことには、「いとしいあなたは、この頃うら寂しく嘆いておられる。世の中のつらく苦しいこと、咲く花も時が来れば移ろい、この世の人の身も無常であった。(たらちねの)母君が、どうして、ほかに時もあろうに、(まそ鏡)見ても飽きない、(珠の緒の)惜しい盛りに、立つ霧が消えるように、置く露が消えるように、玉藻のようになびき臥して、流れる水のように留めることができなかった」と。でたらめを人が言ったのか、まがごとを人が告げたのか。(梓弓爪よる音の)遠い噂に聞いても悲しくて、(庭潦)流れる涙は留めることができない。
〔4215〕遠い噂にでも、あなたが嘆いていると聞いたので、声を上げて泣けてくる。思い合っている私は。
〔4216〕世の中の無常なことは知っているだろうに。心を尽くして嘆き過ぎないでください。ますらおの身なのだから。
意訳
家持の娘婿にあたる藤原豊成の二男(藤原継縄とされる)が母を亡くしたと聞き、越中から弔意を送った挽歌である。遠く隔たって直接慰められないもどかしさを述べ、世の無常を説いて、ますらおとして悲しみに沈みすぎないよう励ます。
語釈・文法注
文法・本文
- 服從ふ
- 「まつろふ」。お仕えする。
- 山河阻て
- 「やまかはへなて」。山や河に隔てられて。
- 氣衝き
- 「いきづき」。ため息をついて。
- 傳言
- 「つてごと」。伝言。
- 比の頃
- 「このごろ」。白文は「比來」。
- 嘆かひ坐す
- 嘆いておられる。
- 靡き臥伏し
- 「なびきこいふし」。なびき倒れ伏して。
- 枉言
- 「たはこと」。でたらめの言葉。
- 逆言か
- 「およづれか」。人を惑わすまがごとか。白文は「逆言乎」。
- 梓弓爪よる音の
- 「遠音」を導く序。
- 庭潦
- 「にはたづみ」。「流る」にかかる枕詞。
- 情盡すな
- 心を尽くして嘆くな。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。繊細で感傷的な歌風は、万葉集の第4期を代表する。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十九・部立なし・4214〜4216番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平勝宝2年5月27日、越中守大伴家持が、婿の藤原二郎の母の死を弔って詠んだ挽歌。
修辞
- 対句
- 「立つ霧の失せぬる如く」と「置く露の消ぬるが如」、「枉言や人の云ひつる」と「逆言か人の告げつる」。
- 枕詞
- 「あしひきの」「玉桙の」「たらちねの」「まそ鏡」「珠の緒の」「庭潦」。
解説
南右大臣は藤原豊成。その二男は藤原継縄とされ、家持の娘を妻としていた。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、690頁(コマ138)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、815頁(コマ171)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日