万葉集 巻第十九 4211〜4212番
古に ありけるわざの
天平勝宝2年5月6日、越中守大伴家持が、菟原処女の伝説を詠んだ田辺福麻呂・高橋虫麻呂の歌に追和して詠んだ長歌と反歌。昔の不思議な出来事として語り継がれてきた、血沼壮士と菟原壮士が命も惜しまず争って求婚した乙女は、春の花のように照り映え秋の葉のように輝く若い身で、ますらおたちの言葉を気の毒に思って父母に別れを告げ、海辺に出て露霜のように死んでしまった、その墓所をここと定めて、後の世の人も遠く偲ぶようにと黄楊の小櫛を挿したが、それが生え変わってなびいているらしいと詠む長歌と、乙女らの後のしるしと黄楊の小櫛が生え変わってなびいたらしいという歌。
題詞處女墓の歌に追同する一首并に短歌
- 1古古いにしえにににありありありけるけるけるわざわざわざののの古爾 有家流和射乃長歌
- 2くすはしきくすはしきくすわしき事事ことととと言言いひひい繼繼つぐぐぐ久須婆之伎 事跡言繼
- 3血沼血沼ちぬ壯士壯士おとこ菟原菟原うない壯士壯士おとこののの知努乎登古 宇奈比壯子乃
- 4現身現身うつせみののの名名なををを爭爭あらそふふうととと宇都勢美能 名乎競爭登
- 5たまきはるたまきはるたまきわる壽壽いのちももも捨捨すてててててて玉剋 壽毛須底弖
- 6爭爭あらそひひいににに嬬問嬬問つまどいしししけるけるける相爭爾 嬬問爲家留
- 7をとめをとめおとめらららががが聞聞きけけけばばば悲悲かなしさしさしさ媙嬬等之 聞者悲左
- 8春春はる花花はなのののにほえにほえにおえさかえさかえさかえててて春花乃 爾太要盛而
- 9秋秋あきののの葉葉はのののにほひにほひにおいににに照照てれれれるるる秋葉之 爾保比爾照有
- 10あたらしきあたらしきあたらしき身身みののの壯壯さかりすらすらすら惜 身之壯尚
- 11丈夫丈夫ますらおののの語語こといたはしみいたはしみいたわしみ大夫之 語勞美
- 12父母父母ちちははににに啓啓もうししし別別わかれれれててて父母爾 啓別而
- 13家家いえ離離ざかりりり海海うみ邊邊べににに出出いででで立立たちちち離家 海邊爾出立
- 14朝朝あさ暮暮よいににに滿滿みちちち來來くるるる潮潮しおののの朝暮爾 滿來潮之
- 15八八や重重え浪浪なみににに靡靡なびくくく珠藻珠藻たまもののの八隔浪爾 靡珠藻乃
- 16節節ふしののの間間まももも惜惜おしきしきしき命命いのちををを節間毛 惜命乎
- 17露露つゆ霜霜しもののの過過すぎぎぎましましましにににけれけれけれ露霜之 過麻之爾家禮
- 18奧墓奧墓おくつきををを此處此處ここととと定定さだめめめててて奧墓乎 此間定而
- 19後後のちののの代代よののの聞聞きききき繼繼つぐぐぐ人人ひとももも後代之 聞繼人毛
- 20いやいやいや遠遠とおにににしぬびしぬびしぬびにににせせせよよよととと伊也遠爾 思努比爾勢餘等
- 21黃楊黃楊つげ小小お櫛櫛ぐししかしかしか指指さしししけらしけらしけらし生生おひひいててて靡靡なびけけけりりり黃楊小櫛 之賀左志家良之 生而靡有
- 22をとめをとめおとめらららののの乎等女等之反歌
- 23後後のちのののしるししるししるしととと後能表跡
- 24黃楊黃楊つげ小小お櫛櫛ぐし黃楊小櫛
- 25生生おひひい更更かわりりり生生おひひいててて生更生而
- 26靡靡なびきききけらしけらしけらしももも靡家良思母
現代語訳
〔4211〕昔あった不思議な出来事として言い継いできた、血沼壮士と菟原壮士が、この世の名誉を争うとて、(たまきはる)命も捨てて争って求婚した乙女のことは、聞けば悲しいことだ。春の花のように照り映えて、秋の葉のように輝いていた、惜しい若い盛りの身でありながら、ますらおたちの言葉を気の毒に思い、父母に別れを告げて家を離れ、海辺に出て立ち、朝夕に満ちて来る潮の八重の波になびく玉藻の節の間ほどの短い間も惜しい命を、露霜のように消してしまった。その墓所をここと定めて、後の世に聞き継ぐ人も、いよいよ遠くまで偲ぶようにと、黄楊の小櫛をそのように挿したらしい。それが生えてなびいている。
〔4212〕乙女たちの後の世のしるしとして挿した黄楊の小櫛が、生え変わり生え変わって、なびいているらしいことだ。
意訳
二人の男に求婚されて苦しみ、自ら命を絶ったという菟原処女の伝説を、先人の歌に追和して詠んだ長歌である。若い身を惜しまず死を選んだ乙女を悼み、墓に挿された黄楊の櫛が木となって今も茂っていると結び、伝説の永続を讃える。
語釈・文法注
文法・本文
- くすはしき
- 不思議な。
- 血沼壯士
- 「ちぬをとこ」。和泉の血沼の男。
- 菟原壯士
- 「うなひをとこ」。摂津の菟原の男。
- 嬬問
- 「つまどひ」。求婚。
- にほえさかえて
- 照り映えて栄えて。
- 語いたはしみ
- 言葉を気の毒に思って。
- 啓し
- 「まをし」。申し上げて。
- 奧墓
- 「おくつき」。墓所。
- 黃楊小櫛
- 「つげをぐし」。黄楊の木で作った小さな櫛。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。繊細で感傷的な歌風は、万葉集の第4期を代表する。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十九・部立なし・4211〜4212番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平勝宝2年5月6日、越中守大伴家持が、処女墓の歌に追和して詠んだ歌。
修辞
- 対句
- 「春花のにほえさかえて」と「秋の葉のにほひに照れる」。
- 伝説
- 菟原処女の伝説を詠む。
解説
菟原処女の伝説は、田辺福麻呂歌集(1801〜1803番)や高橋虫麻呂歌集(1809〜1811番)に詠まれている。墓とされる処女塚古墳が神戸市東灘区に残る。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、690頁(コマ138)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、814頁(コマ171)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日