万葉集 巻第十九 4160〜4162番
天地の 遠き始よ
天平勝宝2年3月、越中守大伴家持が、世の無常を悲しんで詠んだ長歌と反歌二首。天地の遠い初めから世の中は無常だと語り継がれてきたが、空を仰げば照る月も満ち欠けし、山の梢も春は花が咲き秋は紅葉して散る、この世の人の身もそのように、紅の顔も衰え黒髪も変わり、朝の笑顔も夕べには変わって、風が見えず水がとどまらないように、常なく移ろうのを見ると涙が止まらないと詠む長歌と、物言わぬ木さえ春に咲き秋に散るのは常がないからこそだという歌、この世の無常を見ると心をとめずに物思いする日が多いという歌。
題詞世間の無常を悲しむ歌一首并に短歌
- 1天地天地あめつちののの遠遠とおききき始始はじめよよよ天地之 遠始欲長歌
- 2俗中俗中よのなかははは常常つね無無なきききものものものととと俗中波 常無毛能等
- 3語語かたりりり續續つぎぎぎながらへながらへながらえ來來きたれれれ語續 奈我良倍伎多禮
- 4天天あまののの原原はらふりふりふり放放さけけけ見見みれれればばば天原 振左氣見婆
- 5照照てるるる月月つきももも盈昃盈昃みちかけしししけりけりけり照月毛 盈昃之家里
- 6あしひきあしひきあしひきののの山山やまののの木末木末こぬれももも安之比奇能 山之木末毛
- 7春春はるささされれればばば花花はな咲咲さききき匂匂におひひい春去婆 花開爾保比
- 8秋秋あきづけづけづけばばば露露つゆ霜霜しも負負おひひいててて秋都氣婆 露霜負而
- 9風風かぜ交交まじりりり紅葉紅葉もみじ散散ちりりりけりけりけり風交 毛美知落家利
- 10現身現身うつせみももも斯斯かくくくのみのみのみならならならししし宇都勢美母 如是能未奈良之
- 11紅紅くれないののの色色いろもももうつろひうつろひうつろい紅能 伊呂母宇都呂比
- 12ぬばたまぬばたまぬばたまののの黑黑くろ髮髮かみ變變かわりりり奴婆多麻能 黑髮變
- 13朝朝あさののの咲咲えみ暮暮ゆうべ變變かわらひらひらい朝之咲 暮加波良比
- 14吹吹ふくくく風風かぜののの見見みえええぬぬぬががが如如ごとくくく吹風能 見要奴我其登久
- 15逝逝ゆくくく水水みずののの止止とまらららぬぬぬ如如ごとくくく逝水能 登麻良奴其等久
- 16常常つねももも無無なくくく移移うつろふろふろう見見みれれればばば常毛奈久 宇都呂布見者
- 17行潦行潦にわたずみ流流ながるるるるるる涙涙なみだ止止とどみみみかねかねかねつつつももも爾波多豆美 流涕 等騰米可禰都母
- 18言言こと問問とははわぬぬぬ言等波奴反歌
- 19木木きすらすらすら春春はる咲咲さききき木尚春開
- 20秋秋あきづけづけづけばばば秋都氣波
- 21もみぢもみぢもみじ散散ちらくらくらくははは毛美知遲良久波
- 22常常つねををを無無なみみみこそこそこそ常乎奈美許曾
- 23現身現身うつせみののの宇都世美能反歌
- 24常常つね無無なききき見見みれれればばば常無見者
- 25世世よのののなかなかなかににに世間爾
- 26情情こころつけつけつけずずずててて情都氣受氐
- 27念念おもふふう日日ひぞぞぞ多多おおききき念日曾於保吉
現代語訳
〔4160〕天地の遠い初めから、世の中は無常なものだと語り継ぎ、言い伝えてきた。天の原を仰ぎ見ると、照る月も満ち欠けしている。(あしひきの)山の梢も、春になると花が咲き匂い、秋になると露霜を受けて、風に吹き交じって紅葉が散っていく。この世の人の身もこのようであるらしい。紅の顔色も衰え、(ぬばたまの)黒髪も変わり、朝の笑顔も夕べには変わって、吹く風が目に見えないように、流れる水がとどまらないように、常もなく移ろっていくのを見ると、にわか水のように流れる涙は、止めようもないことだ。
〔4161〕物を言わない木でさえも、春に咲き秋になれば紅葉して散るのは、常がないからこそだ。
〔4162〕この世の人の身が無常であるのを見ると、世の中に心をとめずに物思いする日が多いことだ。
意訳
越中で家持が仏教の無常観を正面から詠んだ長歌である。月の満ち欠け、春の花と秋の紅葉という自然の移ろいから、人の若さと命の移ろいに及び、風や水のたとえを重ねて無常を嘆く。山上憶良の「世間の住み難きを哀しぶる歌」の流れをくむ作である。
語釈・文法注
文法・本文
- 俗中
- 「よのなか」。世の中。
- ながらへ來れ
- 言い伝えてきた。
- 盈昃
- 「みちかけ」。満ち欠け。
- 現身
- 「うつせみ」。この世の人。
- 朝の咲
- 「あさのゑみ」。朝の笑顔。
- 暮變らひ
- 「ゆふべかはらひ」。夕べには変わって。
- 行潦
- 「にはたづみ」。雨の後のにわか水。「流る」にかかる枕詞。
- 止みかねつも
- 「とどみかねつも」。止めることができない。
- 常を無みこそ
- 常がないからこそ。
- 情つけずて
- 心をとめずに。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。繊細で感傷的な歌風は、万葉集の第4期を代表する。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十九・部立なし・4160〜4162番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平勝宝2年3月、越中守大伴家持が世の無常を悲しんで詠んだ歌。
修辞
- 対句
- 「春されば花咲き匂ひ」と「秋づけば露霜負ひて」、「吹く風の見えぬが如く」と「逝く水の止らぬ如く」。
- 枕詞
- 「あしひきの」「ぬばたまの」「行潦」。
解説
家持の無常の歌は、仏教思想の影響を受けたものとされる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、680頁(コマ133)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、802頁(コマ165)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日