万葉集 巻第十八 4122〜4123番
天皇の 敷きます國の
天平感宝元年6月1日、閏5月6日から日照りが続いて田畑の作物がしおれかけていたとき、雨雲の気配を見た大伴家持が雨を願って詠んだ長歌と反歌。天皇の治める国の天の下、古から今まで調を奉る第一のつとめとしてきた農業なのに、雨が降らず日が重なって、植えた田も蒔いた畑も朝ごとにしおれていくのを見ると心が痛む、赤子が乳を求めるように天の水を仰いで待つ、あの山の峰に見える白雲よ、海神の宮のほうまで立ち渡って空を曇らせ雨を降らせてほしいと詠む長歌と、この見える雲が広がって曇り、雨が降らないものか、心の満ち足りるまでにという歌。
題詞天平感寶元年閏五月六日以來、小旱を起して、百姓の田畝稍凋める色あり。六月朔日に至りて、忽ち雨雲の氣を見、仍りて作れる雲の歌一首短歌一絶
- 1天皇天皇すめろきののの敷敷しきききますますます國國くにののの須賣呂伎能 之伎麻須久爾能長歌
- 2天天あめののの下下した四方四方よもののの道道みちにににははは安米能之多 四方能美知爾波
- 3馬馬うまののの蹄蹄つめいいい盡盡つくすすす極極きわみ宇麻乃都米 伊都久須伎波美
- 4船船ふなののの舳舳へのののいいい泊泊はつるつるつるまでまでまでににに布奈乃倍能 伊波都流麻泥爾
- 5古古いにしえよよよ今今いまののの現現おつつににに伊爾之敝欲 伊麻乃乎都頭爾
- 6萬調萬調よろずつき奉奉まつるるる長上長上つかさととと萬調 麻都流都可佐等
- 7作作つくりりりたるたるたる其其そののの農業農業なりわいををを都久里多流 曾能奈里波比乎
- 8雨雨あめ降降ふらららずずず日日ひののの重重かさなれなれなればばば安米布良受 日能可左奈禮婆
- 9植植うゑゑえししし田田たももも蒔蒔まきききししし畠畠はたけももも宇惠之田毛 麻吉之波多氣毛
- 10朝朝あさごとごとごとににに凋凋しおみみみ枯枯かれれれ行行ゆくくく安佐其登爾 之保美可禮由苦
- 11其其そををを見見みれれればばば心心こころををを痛痛いたみみみ曾乎見禮婆 許己呂乎伊多美
- 12綠兒綠兒みどりごののの乳乳ち乞乞こふふうがががごとくごとくごとく彌騰里兒能 知許布我其登久
- 13天天あまつつつ水水みず仰仰あおぎぎぎてててぞぞぞ待待まつつつ安麻都美豆 安布藝弖曾麻都
- 14あしひきあしひきあしひきののの山山やまのののたをりたをりたおりににに安之比奇能 夜麻能多乎理爾
- 15彼彼こののの見見みゆるゆるゆる天天あまののの白白しら雲雲くも許能見由流 安麻能之良久母
- 16海神海神わたつみののの沖沖おきつつつ宮宮みや邊邊へににに和多都美能 於枳都美夜敝爾
- 17立立たちちち渡渡わたりりりとのとのとの曇曇ぐもりりり合合あひひいててて雨雨あめももも賜賜たまははわねねね多知和多里 等能具毛理安比弖 安米母多麻波禰
- 18このこのこの見見みゆるゆるゆる許能美由流反歌
- 19雲雲くもほびこりほびこりほびこりててて久毛保妣許里弖
- 20とのとのとの曇曇ぐもりりり等能具毛理
- 21雨雨あめももも降降ふらららぬぬぬかかか安米毛布良奴可
- 22心心こころ足足だらひひいににに許己太良比爾
現代語訳
〔4122〕天皇のお治めになる国の天の下、四方の道では、馬の蹄の行き尽くす果てまで、船の舳先の泊まり着くところまで、昔から今の現在まで、多くの貢ぎ物を奉る第一の務めとして作ってきたその農業を、雨が降らずに日が重なるので、植えた田も蒔いた畑も朝ごとにしおれて枯れていく。それを見ると心が痛むので、みどりごが乳をほしがるように、天の水を仰いで待っている。(あしひきの)山の尾根のくぼみに見えるあの天の白雲よ、海神の沖の宮のあたりまで立ち渡り、空一面に曇り合って、雨を降らせてください。
〔4123〕この見える雲が広がって、空一面に曇り、雨が降らないものか。心の満ち足りるほどに。
意訳
日照り続きで作物がしおれていく中、雨雲の気配を見た国守の家持が、雨を願って詠んだ長歌である。農業を天下の調の根本と述べ、しおれていく田畑を見る痛みを、みどりごが乳を求めるようだとたとえて、山の白雲に雨を乞う。国守として民の暮らしを案じる立場が表れている。
語釈・文法注
文法・本文
- 馬の蹄い盡す極
- 馬の蹄が行き尽くす果てまで。
- 船の舳のい泊つるまでに
- 船の舳先が泊まり着くところまで。
- 萬調
- 「よろづつき」。多くの貢ぎ物。
- 長上
- 「つかさ」。第一のもの。
- 農業
- 「なりはひ」。農作。
- 凋み
- 「しほみ」。しおれて。
- 綠兒
- 「みどりご」。乳飲み子。
- たをり
- 山の尾根のくぼんだ所。
- との曇り
- 空一面に曇って。
- ほびこりて
- 広がって。
- 心足ひに
- 「こころだらひに」。心が満ち足りるほどに。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。繊細で感傷的な歌風は、万葉集の第4期を代表する。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十八・部立なし・4122〜4123番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平感宝元年6月1日の夕方、日照りに雨雲の気配を見た越中守大伴家持が詠んだ歌。
修辞
- 対句
- 「馬の蹄い盡す極」と「船の舳のい泊つるまでに」、「植ゑし田も」と「蒔きし畠も」。
- 比喩
- 「綠兒の乳乞ふがごとく」。
解説
このあと実際に雨が降り、家持はそれを喜ぶ歌(4124番)を詠んでいる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、663頁(コマ124)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、783頁(コマ155)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日