万葉集 巻第十八 4111〜4112番
かけまくも あやにかしこし
天平感宝元年閏5月23日、大伴家持が橘をたたえて詠んだ長歌と反歌。垂仁天皇の御代に田道間守が常世の国に渡って持ち帰った非時の香の木の実が国中に育ち栄え、春には若枝が芽吹き、五月には初花を手折って乙女らに贈り、実は玉に通して手に巻き、秋の紅葉の中にも橘の実は照り輝き、冬の霜にも葉は枯れない、だからこそ神代から「非時の香の木の実」と名づけたのだろうと詠む長歌と、橘は花も実も見たが、いつでもなお見たいという歌。
題詞橘の歌一首并に短歌
- 1かけまくかけまくかけまくもももあやあやあやにににかしこしかしこしかしこし可氣麻久母 安夜爾加之古思長歌
- 2皇神祖皇神祖すめろきののの神神かみののの大大おお御御み代代よににに皇神祖能 可見能大御世爾
- 3田道間守田道間守たじまもり常世常世とこよににに渡渡わたりりり田道間守 常世爾和多利
- 4八八や矛矛ほこ持持もちちち參參まい來來で出出こししし夜保許毛知 麻爲泥許之
- 5非時非時ときじくののの香香かくののの木木こののの實實みををを登吉時支能 香久乃菓子乎
- 6かしこくかしこくかしこくももも遺遺のこししし給給たまへへえれれれ可之古久母 能許之多麻敝禮
- 7國國くにももも狹狹せににに生生おひひい立立たちちち榮榮さかえええ國毛勢爾 於非多知左加延
- 8春春はるささされれればばば孫枝孫枝ひこえ萌萌もいいいつつつつつつ波流左禮婆 孫枝毛伊都追
- 9ほととぎすほととぎすほととぎす鳴鳴なくくく五月五月さつきにににははは保登等藝須 奈久五月爾波
- 10初初はつ花花はなををを枝枝えだににに手手た折折おりりりててて波都波奈乎 延太爾多乎理弖
- 11少女少女おとめ等等らににに裹裹つとにににももも遣遣やりりりみみみ乎登女良爾 都刀爾母夜里美
- 12白妙白妙しろたえののの袖袖そでにににももも扱扱こききき入入れ之路多倍能 蘇泥爾毛古伎禮
- 13香細香細かぐわしみしみしみ措措おきききててて枯枯からしらしらしみみみ香具播之美 於枳弖可良之美
- 14熟熟あゆるゆるゆる實實みははは玉玉たまににに貫貫ぬきききつつつつつつ安由流實波 多麻爾奴伎都追
- 15手手てににに纏纏まきききててて見見みれれれどもどもども飽飽あかかかずずず手爾麻吉弖 見禮騰毛安加受
- 16秋秋あきづけづけづけばばば時雨時雨しぐれののの雨雨あめ零零ふりりり秋豆氣婆 之具禮能雨零
- 17あしひきあしひきあしひきののの山山やまののの木末木末こぬれははは阿之比奇能 夜麻能許奴禮波
- 18紅紅くれないににににほひにほひにおい散散ちれれれどもどもども久禮奈爲爾 仁保比知禮止毛
- 19橘橘たちばなののの成成なれれれるるる其其そののの實實みははは多知波奈能 成流其實者
- 20直直ひた照照てりりりににに彌彌いや見見みががが欲欲ほしくしくしく比太照爾 伊夜見我保之久
- 21みみみ雪雪ゆき降降ふるるる冬冬ふゆににに到到いたれれればばば美由伎布流 冬爾伊多禮波
- 22霜霜しも置置おけけけどもどもどもそのそのその葉葉はももも枯枯かれれれずずず霜於氣騰母 其葉毛可禮受
- 23常盤常盤ときわなすなすなすいやいやいや榮榮さかばえばえばえににに常磐奈須 伊夜佐加波延爾
- 24然然しかれれれこそこそこそ神神かみののの御御み代代よよりよりより之可禮許曾 神乃御代欲理
- 25宜宜よろしなべしなべしなべこのこのこの橘橘たちばなををを與呂之奈倍 此橘乎
- 26非時非時ときじくののの香香かくののの木木こののの實實みととと名名なづけづけづけけらしけらしけらしももも等伎自久能 可久能木實等 名附家良之母
- 27橘橘たちばなははは橘波反歌
- 28花花はなにににももも實實みにににももも花爾毛實爾母
- 29見見みつれつれつれどもどもども美都禮騰母
- 30いやいやいや時時ときじくじくじくににに移夜時自久爾
- 31猶猶なおししし見見みががが欲欲ほししし奈保之見我保之
現代語訳
〔4111〕口に出して言うのも恐れ多い、皇祖の神の大御代に、田道間守が常世の国に渡って、八本の矛を持って帰って来て、いつでも香り高い木の実を、恐れ多くも遺してくださったので、国も狭いほどに生い立って栄え、春になると若枝が芽吹き続け、ほととぎすの鳴く五月には、初花を枝ごと手折って、乙女たちに土産として贈ったり、白妙の袖にしごき入れたり、香りがよいので置いて枯らしたりして、熟した実は玉として緒に通して、手に巻いて見ても飽きない。秋になると、時雨の雨が降って、(あしひきの)山の梢は紅に照り映えて散るけれども、橘の実っているその実は、ひたすら照り輝いて、ますます見たくなる。雪の降る冬になると、霜が置いてもその葉は枯れず、常盤の岩のように、ますます栄え映えて。だからこそ、神の御代から、ふさわしいことにこの橘を、「非時の香の木の実」と名づけたのであろう。
〔4112〕橘は、花の時にも実の時にも見たけれども、いつでも、なおいっそう見たいものだ。
意訳
橘の由来と四季の美しさを讃えた長歌である。垂仁天皇の御代に田道間守が常世の国から持ち帰ったという伝説から説き起こし、春の芽吹き、五月の花、実を玉に通す楽しみ、秋の紅葉の中で照り輝く実、冬の霜にも枯れない葉と、季節ごとの橘の姿を描いて、「非時の香の木の実」の名の由来を讃える。橘氏への敬意もこめられていると見られる。
語釈・文法注
文法・本文
- かけまくも
- 口にかけて言うのも。
- 皇神祖
- 「すめろき」。ここでは垂仁天皇。
- 田道間守
- 「たぢまもり」。垂仁天皇の命で常世の国へ橘を求めに行ったと伝える人。
- 八矛
- 「やほこ」。八本の枝。
- 參來出し
- 「まゐでこし」。帰って来た。
- 非時の香の木の實
- 「ときじくのかくのこのみ」。いつも香り高い木の実。橘のこと。
- 國も狹に
- 国も狭いほどに。
- 孫枝
- 「ひこえ」。若枝。
- 裹
- 「つと」。土産。
- 扱入れ
- 「こきれ」。しごき入れて。
- 香細しみ
- 「かぐはしみ」。香りがよいので。
- 熟ゆる
- 「あゆる」。熟した。
- 直照り
- 「ひたてり」。ひたすら照り輝くこと。
- 宜しなべ
- 「よろしなべ」。ふさわしく。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。繊細で感傷的な歌風は、万葉集の第4期を代表する。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十八・部立なし・4111〜4112番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平感宝元年閏5月23日、越中守大伴家持が、橘をたたえて詠んだ歌。
修辞
- 四季の構成
- 春・夏・秋・冬の順に橘の姿を描く。
- 対句
- 「裹にも遣りみ」と「袖にも扱入れ」。
解説
田道間守の伝説は『古事記』『日本書紀』の垂仁天皇の条に見える。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、660頁(コマ123)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、779頁(コマ153)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日