万葉集 巻第十八 4098〜4100番
高御座 天の日嗣と
天平感宝元年5月、聖武天皇の吉野行幸に備えて、越中守大伴家持があらかじめ作った長歌と反歌二首。歴代の天皇が尊くも定めた吉野の大宮に、大君は通い続けてご覧になるらしい、官人たちもそれぞれの祖先の名を負って、大君の任命のままに、この川の絶えないように、この山の続くように、いつまでもお仕えしようと詠む長歌と、昔を思っておられるらしい、大君は吉野の宮に通い続けてご覧になるという歌、官人たちも吉野川の絶えないように仕えながら見ようという歌。
題詞芳野離宮に幸行さむ時の爲、儲けて作れる歌一首并に短歌
- 1高御座高御座たかみくら天天あまののの日嗣日嗣ひつぎととと多可美久良 安麻能日嗣等長歌
- 2天天あめののの下下した知知しらしめしらしめしらしめしけるけるける天下 志良之賣師家類
- 3天皇天皇すめろきののの神神かみののの命命みことののの須賣呂伎乃 可未能美許等能
- 4畏畏かしこくくくももも始始はじめめめ給給たまひひいててて可之古久母 波自米多麻比弖
- 5貴貴とうとくくくももも定定さだめめめ給給たまへへえるるる多不刀久母 左太米多麻敝流
- 6みみみ吉野吉野よしぬのののこのこのこの大宮大宮おおみやににに美與之努能 許乃於保美夜爾
- 7在在ありりり通通がよひひい見見めししし給給たまふふうらしらしらし安里我欲比 賣之多麻布良之
- 8もののふもののふもののふののの八十八十やそ伴伴ともののの雄雄おももも毛能乃敷能 八十伴雄毛
- 9己己おのががが負負おへへえるるる己己おのががが名名な負負おひひい於能我於敝流 於能我名負
- 10大王大王おおきみののの任任まけのののまくまくまくまくまくまく大王乃 麻氣能麻久麻久
- 11此此こののの河河かわののの絶絶たゆるゆるゆることことことなくなくなく此河能 多由流許等奈久
- 12此此こののの山山やまののの彌彌いやつぎつぎつぎつぎつぎつぎににに此山能 伊夜都藝都藝爾
- 13斯斯かくくくしししこそこそこそ仕仕つかへへえ奉奉まつらららめめめいやいやいや遠永遠永とおながににに可久之許曾 都可倍麻都良米 伊夜等保奈我爾
- 14いにしへいにしへいにしえををを伊爾之敝乎反歌
- 15思思おもほほおすすすらしらしらしももも於母保須良之母
- 16我我わご大君大君おおきみ和期於保伎美
- 17吉野吉野よしぬののの宮宮みやををを余思努乃美夜乎
- 18在在ありりり通通がよひひい見見めすすす安里我欲比賣須
- 19もののふもののふもののふののの物能乃布能反歌
- 20八十八十やそ氏人氏人うじひとももも夜蘇氏人毛
- 21吉野吉野よしぬ河河がわ與之努河波
- 22絶絶たゆるゆるゆることことことなくなくなく多由流許等奈久
- 23仕仕つかへへえつつつつつつ見見みむむむ都可倍追通見牟
現代語訳
〔4098〕高御座にあって天の日嗣として天下をお治めになった天皇である神の君が、恐れ多くもお始めになり、尊くもお定めになった吉野のこの大宮に、大君は通い続けてご覧になるらしい。(もののふの)多くの官人たちも、それぞれが負っている、それぞれの祖先の名を負って、大君の任命のままに、この川の絶えることのないように、この山のますます続くように、このようにしてお仕え申し上げよう。いよいよ遠く長く。
〔4099〕昔をしのんでおられるらしい。わが大君は、吉野の宮に通い続けてご覧になる。
〔4100〕(もののふの)多くの氏の人々も、吉野川の絶えることのないように、お仕えしながら見よう。
意訳
聖武天皇の吉野行幸を予想して、越中にいる家持があらかじめ作っておいた歌である。柿本人麻呂の吉野讃歌の伝統にならい、歴代の天皇が定めた吉野の宮を讃え、官人たちがそれぞれの祖先の名を負って、吉野の川や山のように絶えることなく仕えようと詠む。前の産金の詔書を賀ぐ歌と同じく、氏族の名に誇りを持って仕える心が貫かれている。
語釈・文法注
文法・本文
- 儲けて
- 「まけて」。あらかじめ用意して。
- 見し給ふらし
- ご覧になるらしい。
- 任のまくまく
- 「まけのまくまく」。任命のままに。
- 彌つぎつぎに
- ますます次々に続いて。
- 遠永に
- 「とほながに」。遠く長く。
- 八十氏人
- 「やそうぢひと」。多くの氏の人々。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。繊細で感傷的な歌風は、万葉集の第4期を代表する。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十八・部立なし・4098〜4100番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平感宝元年5月、越中守大伴家持が、吉野行幸に備えて前もって作った歌。
修辞
- 対句
- 「此の河の絶ゆることなく」と「此の山の彌つぎつぎに」。
- 伝統
- 柿本人麻呂の吉野讃歌(36〜39番)の表現にならう。
解説
越中にいた家持が、都での行幸に際して奉るために作っておいたもので、実際に披露されたかどうかは分からない。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、656頁(コマ121)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、775頁(コマ151)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日