万葉集 巻第十七 3978〜3982番
妹も吾も 心は同じ
天平19年3月20日の夜、越中守大伴家持が、にわかに都の妻(坂上大嬢)を恋しく思って詠んだ長歌と反歌四首。いとしい奥妻と別れて鄙に下り、年が改まって春の花の散るまで逢わず、夢には見ても現実には逢えず、近ければすぐにも帰って手枕を交わすのに、道は遠く関も隔てている、ほととぎすの鳴く月になったら、淡海路を通って奈良の家へ行き、門に立ち夕占をしながら待つ妻に早く逢おうと詠む長歌と、年が改まるまで逢わないので心もしおれるという歌、夢には逢っても現実でないので恋しさが止まないという歌、山を隔てて遠くても心が通えば夢に見えたという歌、月日を数えて妻は待っているだろうという歌。
題詞戀緒を述ぶる歌一首并に短歌
- 1妹妹いもももも吾吾われももも心心こころははは同同おやじじじ妹毛吾毛 許己呂波於夜自長歌
- 2副副たぐへへえれれれどどどいやいやいや懷懷なつかしくしくしく多具弊禮登 伊夜奈都可之久
- 3相相あい見見みれれればばば常常とこ初初はつ花花はなににに相見婆 登許波都波奈爾
- 4情情こころぐしぐしぐし眼眼めぐしぐしぐしもももなしなしなしににに情具之 眼具之毛奈之爾
- 5愛愛はしけやししけやししけやし吾吾あががが奥奥おく妻妻づま波思家夜之 安我於久豆麻
- 6大王大王おおきみののの命命みことかしこみかしこみかしこみ大王能 美許登加之古美
- 7あしひきあしひきあしひきののの山山やま越越こえええ野野ぬ行行ゆききき阿之比奇能 夜麻古要奴由伎
- 8天天あま離離ざかるるる鄙鄙ひな治治おさめめめにににととと安麻射可流 比奈乎左米爾等
- 9別別わかれれれ來來こししし其其そののの日日ひののの極極きわみ別來之 曾乃日乃伎波美
- 10あらたまあらたまあらたまののの年年とし往往ゆききき返返がえりりり荒璞能 登之由吉我弊利
- 11春春はる花花はなのののうつろふうつろふうつろうまでまでまでににに春花乃 宇都呂布麻泥爾
- 12相相あい見見みねねねばばば甚甚いたもももすべすべすべなみなみなみ相見禰婆 伊多母須弊奈美
- 13敷妙敷妙しきたえののの袖袖そで反反かえしししつつつつつつ之伎多倍能 蘇泥可弊之都追
- 14宿宿ぬるるる夜夜よ闕闕おちちちずずず夢夢いめにににははは見見みれれれどどど宿夜於知受 伊米爾波見禮登
- 15現現うつつにににししし直直ただにににあらあらあらねねねばばば宇都追爾之 多太爾安良禰婆
- 16戀戀こいしけくしけくしけく千千ち重重えににに積積つもりりりぬぬぬ孤悲之家口 知弊爾都母里奴
- 17近近ちかからからからばばばかへりかへりかえりにににだにだにだにももも近在者 加弊利爾太仁母
- 18うちうちうち行行ゆきききててて妹妹いもががが手手た枕枕まくら宇知由吉底 妹我多麻久良
- 19指指さししし交交かへへえててて寢寢ねてててももも來來こましましましををを佐之加倍底 禰天蒙許萬思乎
- 20玉玉たまほこほこほこののの路路みちはははししし遠遠とおくくく多麻保己乃 路波之騰保久
- 21關關せきさへさへさえににに隔隔へなりりりてててあれあれあれこそこそこそ關左閇爾 弊奈里底安禮許曾
- 22よしゑやしよしゑやしよしえやしよしよしよしはははあらあらあらむむんぞぞぞ與思惠夜之 餘志播安良武曾
- 23ほととぎすほととぎすほととぎす來來き鳴鳴なかかかむむん月月つきににに霍公鳥 來鳴牟都奇爾
- 24いついついつしかしかしかももも早早はやくくくなりなりなりなななむむん伊都之加母 波夜久奈里那牟
- 25卯卯うののの花花はなのののにほへにほへにおえるるる山山やまををを宇乃花乃 爾保弊流山乎
- 26外外よそのみのみのみもももふりふりふり放放さけけけ見見みつつつつつつ余曾能未母 布里佐氣見都追
- 27淡海淡海おうみ路路じにににいいい行行ゆきききのりのりのり立立たちちち淡海路爾 伊由伎能里多知
- 28あをによしあをによしあおによし奈良奈良ならののの吾吾わ家家ぎえににに青丹吉 奈良乃吾家爾
- 29奴要奴要ぬえ鳥鳥どりのののうらうらうら嘆嘆なけしししつつつつつつ奴要鳥能 宇良奈氣之都追
- 30下下した戀戀ごいににに思思おもひひいうらぶれうらぶれうらぶれ思多戀爾 於毛比宇良夫禮
- 31門門かどににに立立たちちち夕占夕占ゆうけ問問とひひいつつつつつつ可度爾多知 由布氣刀比都追
- 32吾吾あををを待待まつつつととと寢寢なすすすらむらむらん妹妹いもををを逢逢あひひいててて早早はや見見みむむむ吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比底早見牟
- 33あらたまあらたまあらたまののの安良多麻乃反歌
- 34年年としかへるかへるかえるまでまでまで登之可弊流麻泥
- 35相相あい見見みねねねばばば安比見禰婆
- 36心心こころももも萎萎しぬぬぬににに許己呂母之努爾
- 37思思おもほほおゆるゆるゆるかもかもかも於母保由流香聞
- 38ぬばたまぬばたまぬばたまののの奴婆多麻乃反歌
- 39夢夢いめにににはははもとなもとなもとな伊米爾波母等奈
- 40相相あい見見みれれれどどど安比見禮騰
- 41直直ただにににあらあらあらねねねばばば多太爾安良禰婆
- 42戀戀こひひい止止やまままずずずけりけりけり孤悲夜麻受家里
- 43あしひきあしひきあしひきののの安之比奇能反歌
- 44山山やま來來き隔隔へなりりりててて夜麻伎弊奈里底
- 45遠遠とおけどもけどもけども等保家騰母
- 46こころこころこころししし行行ゆけけけばばば許己呂之遊氣婆
- 47夢夢いめににに見見みえええけりけりけり伊米爾美要家里
- 48春春はる花花はなののの春花能反歌
- 49うつろふうつろふうつろうまでまでまでににに宇都路布麻泥爾
- 50相相あい見見みねねねばばば相見禰婆
- 51月月つき日日ひ數數よみみみつつつつつつ月日餘美都追
- 52妹妹いも待待まつつつらむらむらんぞぞぞ伊母麻都良牟曾
現代語訳
〔3978〕妻も私も心は同じで、寄り添っているけれど、ますます慕わしく、逢うたびにいつも咲き初めた花のように、心晴れず、目にも飽きることなく、いとしいわが奥妻よ。大君の御命令を恐れ謹んで、(あしひきの)山を越え野を行き、(天離る)鄙を治めにと別れて来た、その日からずっと、(あらたまの)年が改まり、春の花が散り移ろうまで逢わないので、ひどくどうしようもなく、(敷妙の)袖を折り返しては、寝る夜ごとに夢には見るけれど、現実にじかに逢えるのではないので、恋しさは千重にも積もった。近ければ、日帰りにでも行って、妻の手枕を交わして寝て来ようものを、(玉ほこの)道は遠く、関までも隔てているのだから。ままよ、よい時もあろう。ほととぎすが来て鳴く月に、早くなってほしい。卯の花の咲き匂う山を遠くに仰ぎ見ながら、淡海路を行き進み、(あをによし)奈良のわが家に、(奴要鳥の)忍び泣きをしながら、心ひそかに恋い慕って思いしおれ、門に立って夕占をしながら私を待って寝ているだろう妻に、逢って早く顔を見よう。
〔3979〕(あらたまの)年が改まるまで逢わないので、心もしおれるほどに思われることだ。
〔3980〕(ぬばたまの)夢にはむやみに逢うけれど、現実にじかに逢うのではないので、恋しさが止まないことだ。
〔3981〕(あしひきの)山が隔たって遠いけれども、心が通って行くので、夢に見えたのだ。
〔3982〕春の花が散り移ろうまで逢わないので、月日を数えながら、妻は待っているだろう。
意訳
病が癒えかけた春の夜、家持が奈良に残した妻坂上大嬢をにわかに恋しく思って詠んだ長歌である。逢うたびに初花のように新鮮だった妻と別れて一年近く、夢には見ても逢えず、近ければ日帰りにでも行けるのにと嘆き、ほととぎすの鳴く四月に上京する日を思い描いて、門に立って夕占をしながら待つ妻に早く逢いたいと結ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 副へれど
- 「たぐへれど」。寄り添っているが。
- 常初花
- 「とこはつはな」。いつも咲き初めたばかりの花。
- 情ぐし・眼ぐし
- 心が晴れない、見飽きない。
- 奥妻
- 「おくづま」。心の奥深く思う妻。
- 宿る夜闕ちず
- 「ぬるよおちず」。寝る夜ごとに。
- かへりにだにも
- 日帰りにでも。
- よしゑやし
- ままよ、どうであろうと。
- 淡海路
- 「あふみぢ」。近江を通る道。越中から奈良へは近江を経た。
- 奴要鳥の
- 「ぬえどりの」。「うら嘆し」にかかる枕詞。
- 夕占
- 「ゆふけ」。夕方の辻で道行く人の言葉を聞いて吉凶を占うこと。
- 寢すらむ
- 「なすらむ」。寝ているだろう。
- 心も萎ぬに
- 「こころもしのに」。心もしおれて。
- 月日數みつつ
- 「つきひよみつつ」。月日を数えながら。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。繊細で感傷的な歌風は、万葉集の第4期を代表する。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十七・部立なし・3978〜3982番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平19年3月20日の夜、越中守大伴家持が、奈良の妻を恋しく思って詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「あしひきの」「天離る」「あらたまの」「敷妙の」「玉ほこの」「あをによし」「奴要鳥の」「ぬばたまの」。
- 想像
- 後半は、上京して妻に逢う日を思い描いて叙述する。
解説
家持はこの年の5月、正税帳使として上京している。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、627頁(コマ106)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、733頁(コマ130)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日