万葉集 巻第十七 3973〜3975番
大君の 命かしこみ
天平19年3月5日、大伴池主が、家持の長歌と反歌に答えて、漢文の書簡に添えて贈った長歌と短歌二首。大君の命令を受けて山野をものともせず鄙を治めるますらおが、何を思い悩むのか、奈良からの使いも絶えはしない、里人の言うには、山辺には桜が散り、貌鳥がしきりに鳴き、乙女らが袖を折り返し赤裳の裾を引いて菫を摘みながら君を待ちこがれている、さあ見に行こうと誘う長歌と、山吹は日ごとに咲いた、いとしく思う君がしきりに思われるという歌、君が恋しくてたまらず、葦垣の外で嘆いている私が悲しいという歌。
題詞(大伴宿禰池主の、書簡に添へて家持に和ふる歌一首并に短歌)
- 1大君大君おおきみののの命命みことかしこみかしこみかしこみ憶保枳美能 彌許等可之古美長歌
- 2あしひきあしひきあしひきののの山山やま野野ぬ障障さわらららずずず安之比奇能 夜麻野佐婆良受
- 3天天あま離離ざかるるる鄙鄙ひなももも治治おさむるむるむる安麻射可流 比奈毛乎佐牟流
- 4丈夫丈夫ますらおややや何何なにかかかものものもの思思もふふう麻須良袁夜 奈爾可母能毛布
- 5あをによしあをによしあおによし奈良奈良なら路路じ來來き通通かよふふう安乎爾余之 奈良治伎可欲布
- 6玉玉たま梓梓ずさののの使使つかい絶絶たえええめめめややや多麻豆佐能 都可比多要米也
- 7籠籠こもりりり戀戀こひひい息息いきづきづきづき渡渡わたりりり己母理古非 伊枳豆伎和多利
- 8下下した思思もいににに嘆嘆なげかふかふかう吾吾わががが兄兄せ之多毛比爾 奈氣可布和賀勢
- 9古古いにしえゆゆゆ言言いひひい繼繼つぎぎぎ來來くらしらしらし伊爾之弊由 伊比都藝久良之
- 10世世よののの中中なかはははかずかずかずなきなきなきものものものぞぞぞ餘乃奈加波 可受奈枳毛能曾
- 11慰慰なぐさむるむるむる事事こともももあらあらあらむむんととと奈具佐牟流 己等母安良牟等
- 12里里さと人人びとののの吾吾あれににに告告つぐらくぐらくぐらく佐刀妣等能 安禮爾都具良久
- 13山山やま傍傍びにににははは櫻櫻さくら花花ばな散散ちりりり夜麻備爾波 佐久良婆奈知利
- 14貌鳥貌鳥かおどりののの間間まなくなくなくしばしばしば鳴鳴なくくく可保等利能 麻奈久之婆奈久
- 15春春はるののの野野のににに菫菫すみれををを摘摘つむむむととと春野爾 須美禮乎都牟等
- 16白妙白妙しろたえののの袖袖そで折折おりりり反反かえししし之路多倍乃 蘇泥乎利可弊之
- 17くれなゐくれなゐくれないののの赤赤あか裳裳も裾裾すそ引引びききき久禮奈爲能 安可毛須蘇妣伎
- 18をとめをとめおとめらららははは思思おもひひい亂亂みだれれれててて乎登賣良波 於毛比美太禮底
- 19君君きみ待待まつつつとととうらごひうらごひうらごいすすすなりなりなり伎美麻都等 宇良呉悲須奈里
- 20心心こころぐしぐしぐしいざいざいざ見見みににに行行ゆかかかななな事事ことはははたなゆひたなゆひたなゆい己許呂具志 伊謝美爾由加奈 許等波多奈由比
- 21山吹山吹やまぶきははは夜麻夫枳波短歌
- 22日日ひににに日日ひににに咲咲さきききぬぬぬ比爾比爾佐伎奴
- 23愛愛うるわしししととと宇流波之等
- 24我我あががが思思もふふう君君きみははは安我毛布伎美波
- 25しくしくしくしくしくしく思思おもほほおゆゆゆ思久思久於毛保由
- 26我我わががが兄子兄子せこににに和賀勢故爾短歌
- 27戀戀こいすべすべすべなかりなかりなかり古非須弊奈賀利
- 28葦葦あし垣垣かきののの安之可伎能
- 29外外ほかににになげかふなげかふなげかう保可爾奈氣加布
- 30我我あれししし悲悲かなしししももも安禮之可奈思母
現代語訳
〔3973〕大君の御命令を恐れ謹んで、(あしひきの)山や野もものともせず、(天離る)鄙をも治めるますらおが、どうして物思いをするのですか。(あをによし)奈良からの道を行き来する(玉梓の)使いが絶えることがありましょうか。籠もって恋い慕い、ため息をつき続け、心ひそかに嘆いておられるわが君よ。昔から言い継いで来たらしい、世の中ははかないものだと。心を慰めることもあろうかと、里人が私に告げるには、山のあたりには桜の花が散り、貌鳥が絶え間なくしきりに鳴く春の野に、菫を摘もうと、白妙の袖を折り返し、紅の赤裳の裾を引いて、乙女たちは思い乱れて、あなたを待つと心ひそかに恋い慕っているそうです。心が晴れません。さあ見に行きましょう。事は約束しましたよ。
〔3974〕山吹は日ごとに咲きました。いとしいと私が思うあなたは、しきりに思われます。
〔3975〕あなたが恋しくてたまりません。葦垣の外で嘆いている私が、悲しいことです。
意訳
病床で春を空しく過ごすと嘆いた家持を、池主が励ました歌である。大君の命で鄙を治めるますらおが何を思い悩むのかと問いかけ、山辺の桜や貌鳥、菫を摘む乙女たちの姿を里人の話として描いて、さあ見に行こうと誘う。短歌では、日ごとに咲く山吹に寄せて友を思い、逢えないもどかしさを葦垣の外で嘆く身にたとえる。
語釈・文法注
文法・本文
- 山野障らず
- 「やまぬさはらず」。山や野も妨げとせず。
- 息づき渡り
- ため息をつき続けて。
- 下思に
- 「したもひに」。心ひそかに思って。白文は元暦校本による「之多毛比爾」。
- かずなきもの
- はかないもの。
- 山傍
- 「やまび」。山のあたり。
- 貌鳥
- 「かほどり」。春に鳴く鳥。かっこうなどとされる。
- うらごひ
- 心の中で恋い慕うこと。
- 心ぐし
- 心が晴れない。
- 事はたなゆひ
- 約束はしてあります、の意か。「たなゆひ」は未詳の語。
- しくしく
- しきりに。
- なげかふ
- 嘆き続ける。
和歌
- 作者
- 大伴池主(生没年未詳(八世紀中頃))
越中掾として国守の大伴家持に仕え、漢文の書簡と歌をさかんに贈り交わした。のち越前掾。天平宝字元年(757)の橘奈良麻呂の変にかかわり、その後の消息は伝わらない。 - 出典
- 『万葉集』巻第十七・部立なし・3973〜3975番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平19年3月5日、大伴池主が家持の歌に答えて贈った歌。
修辞
- 対句
- 「白妙の袖折り反し」と「くれなゐの赤裳裾引き」。
- 枕詞
- 「あしひきの」「天離る」「あをによし」「玉梓の」「白妙の」「くれなゐの」。
解説
池主の書簡には、前日の三月四日に贈った七言の「晩春遊覧の詩」を受けた家持の返書を喜ぶ言葉があり、二人は漢詩と和歌を交えて贈答を重ねた。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、624頁(コマ105)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、731頁(コマ129)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日