万葉集 巻第十七 3957〜3959番
天離る 鄙治めにと
天平18年9月25日、越中守大伴家持が、都で弟書持が亡くなったと遠く聞いて悲しみ詠んだ長歌と反歌二首。越中へ赴任する自分を奈良山を越えて泉川の河原まで見送り、無事に帰って来ようと語り合って別れたのに、使いが来て喜んで尋ねると、花を愛した弟が佐保の里を過ぎて山の梢に白雲となってたなびくと告げたと嘆く長歌と、無事でと言ったのに白雲となってたなびくと聞けば悲しいという歌、こうなると知っていたら越の海の荒磯の波も見せたかったという歌。
題詞長逝せる弟を哀傷する歌一首并に短歌
- 1天天あま離離ざかるるる鄙鄙ひな治治おさめめめにににととと安麻射加流 比奈乎佐米爾等長歌
- 2大王大王おおきみののの任任まけのののまにまにまにまにまにまに大王能 麻氣乃麻爾末爾
- 3出出いでででててて來來こししし吾吾われををを送送おくるるるととと出而許之 和禮乎於久流登
- 4あをによしあをによしあおによし奈良奈良なら山山やま過過すぎぎぎててて青丹余之 奈良夜麻須疑底
- 5泉泉いずみ河河がわ淸淸きよききき河河かわ原原らににに泉河 伎欲吉可波良爾
- 6馬馬うまとどめとどめとどめ別別わかれれれししし時時ときににに馬駐 和可禮之時爾
- 7好好さきくくく去去ゆきききててて吾吾あれ歸歸かえりりり來來こむむむ好去而 安禮可弊里許牟
- 8平平たいらけくけくけく齋齋いわひひいててて待待まてててととと平久 伊波比底待登
- 9語語かたらひらひらいててて來來こししし日日ひののの極極きわみ可多良比底 許之比乃伎波美
- 10玉玉たま桙桙ほこののの道道みちをををたたた遠遠どおみみみ多麻保許能 道乎多騰保美
- 11山山やま河河かわののの隔隔へなりりりてててあれあれあればばば山河能 弊奈里底安禮婆
- 12戀戀こいしけくしけくしけく日日け長長ながきききものものものををを孤悲之家口 氣奈我枳物能乎
- 13見見みまくまくまく欲欲ほりりり念念おもふふう間間あいだににに見麻久保里 念間爾
- 14玉玉たま梓梓ずさののの使使つかいののの來來けれれればばば多麻豆左能 使乃家禮婆
- 15嬉嬉うれしみしみしみととと吾吾あががが待待まちちち問問とふふうににに宇禮之美登 安我麻知刀敷爾
- 16およづれおよづれおよずれのののたはことたはことたわこととととかもかもかも於餘豆禮能 多婆許登等可毛
- 17はしきよしはしきよしはしきよしななな弟弟おとののの命命みこと波之伎餘思 奈弟乃美許等
- 18何何なにしかしかしかももも時時ときしししはははあらあらあらむむんををを奈爾之加母 時之波安良牟乎
- 19はたはたはた薄薄すすき穗穗ほににに出出ずるるる秋秋あきののの波太須酒吉 穗出秋乃
- 20萩萩はぎののの花花はなにほへにほへにおえるるる屋戸屋戸やどををを芽子花 爾保弊流屋戸乎
- 21朝朝あさ庭庭にわににに出出いででで立立たちちち平平ならししし安佐爾波爾 伊泥多知奈良之
- 22夕夕ゆう庭庭にわににに踏踏ふみみみ平平たいらげげげずずず暮庭爾 敷美多比良氣受
- 23佐保佐保さほのののうちうちうちののの里里さとををを行行ゆききき過過すぎぎぎ佐保能宇知乃 里乎往過
- 24あしひきあしひきあしひきののの山山やまののの木末木末こぬれににに安之比紀乃 山能許奴禮爾
- 25白白しら雲雲くもににに立立たちちち棚棚たな引引びくくくととと吾吾あれににに告告つげげげつるつるつる白雲爾 多知多奈妣久等 安禮爾都氣都流
- 26ままま幸幸さきくくくととと麻佐吉久登反歌
- 27言言いひひいてててしししものものものををを伊比底之物能乎
- 28白白しら雲雲くもににに白雲爾
- 29立立たちちち棚棚たな引引びくくくととと多知多奈妣久登
- 30聞聞きけけけばばば悲悲かなしししももも伎氣婆可奈思物
- 31かからかからかからむむんととと可加良牟等反歌
- 32かねかねかねててて知知しりりりせせせばばば可禰底思理世婆
- 33越越こしののの海海うみののの古之能宇美乃
- 34荒荒あり磯磯そののの波波なみももも安里蘇乃奈美母
- 35見見みせせせましましましものものものををを見世麻之物能乎
現代語訳
〔3957〕(天離る)鄙を治めにと、大君の任命のままに出て来た私を見送ろうと、(あをによし)奈良山を過ぎて、泉川の清らかな河原に馬をとどめて別れた時に、「無事に行って私は帰って来よう。平らかに身を慎んで待っていてくれ」と語り合ってやって来た日から、(玉桙の)道は遠く、山や川が隔てているので、恋しい日々は長いのに、逢いたいと思っていた時に、(玉梓の)使いが来たので、うれしいと思って私が待ちかねて尋ねると、人を惑わすでたらめの言葉であろうか、いとしいわが弟の君は、どうして、ほかに時もあろうに、(はた薄)穂の出る秋の萩の花が咲き匂う家の庭を、朝の庭に出て立って踏みならし、夕べの庭に踏みならすこともなく、佐保の内の里を行き過ぎて、(あしひきの)山の梢に白雲となって立ちたなびいていると、私に告げたことだ。
〔3958〕無事でいるようにと言い交わしたものを、白雲となって立ちたなびいていると聞くと、悲しいことだ。
〔3959〕こうなるだろうと前もって知っていたならば、越の海の荒磯の波も、見せてやったものを。
意訳
越中守として赴任した翌秋、都から弟書持の死の知らせを受けた家持の挽歌である。泉川の河原まで見送ってくれた弟と、無事に帰ろうと語り合って別れたのに、待ちかねた使いがもたらしたのは、花を愛した弟が佐保山で火葬され白雲となったという知らせであった。反歌では、こうなると知っていたら越の海の荒磯の波も見せてやりたかったと悔やむ。
語釈・文法注
文法・本文
- 任のまにまに
- 「まけのまにまに」。任命のままに。
- 好く去きて
- 「さきくゆきて」。無事に行って。
- 日の極
- 「ひのきはみ」。その日から。
- およづれのたはこと
- 人を惑わすでたらめの言葉。
- な弟の命
- 「なおとのみこと」。わが弟の君。
- 佐保のうち
- 奈良の佐保の地。大伴氏の邸宅があった。
- 白雲に立ち棚引く
- 火葬の煙が白雲となったこと。
- ま幸く
- 「まさきく」。無事で。
和歌
- 作者
- 大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守・少納言・兵部少輔などを歴任し、晩年は中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した歌人で、その編纂にも深く関わったとされる。繊細で感傷的な歌風は、万葉集の第4期を代表する。百人一首の第6首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第十七・部立なし・3957〜3959番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平18年9月25日、越中守大伴家持が、都で亡くなった弟書持を悼んで詠んだ挽歌。
修辞
- 対句
- 「朝庭に出で立ち平し」と「夕庭に踏み平げず」。
- 枕詞
- 「天離る」「あをによし」「玉桙の」「玉梓の」「はた薄」「あしひきの」。
解説
書持は花草を愛し、家持とともに奈良の家でほととぎすの歌を交わしていた(3909〜3913番)。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、617頁(コマ101)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、724頁(コマ126)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日