万葉集 巻第十五 3767〜3774番
魂は あしたゆふべに
狭野弟上娘子の歌八首。魂は朝夕に通い合っても恋が募って胸が痛いという歌、どうしようもなく恋しくて泣いてばかりという歌、夜に逢った君に翌朝逢わずに別れたのが今悔しいという歌、あぢま野に宿る君の帰りを迎える時をいつと待とうかという歌、宮人も君を待っているのにまだ帰って来ないという歌、帰った人が来たと聞いて君かと思い死ぬほどだったという歌、君と一緒に行けばよかった、残っていても同じことでよいこともないという歌、君が帰る時のために命を残そう、忘れないでという歌。
題詞中臣朝臣宅守、狹野弟上娘子と贈り答ふる歌
- 1魂魂たましいははは多麻之比波3767
- 2あしたあしたあしたゆふべゆふべゆうべににに安之多由布敝爾
- 3魂魂たまふれふれふれどどど多麻布禮杼
- 4吾吾あががが胸胸むね痛痛いたししし安我牟禰伊多之
- 5戀戀こいののの繁繁しげきききににに古非能之氣吉爾
- 6こここののの頃頃ころははは己能許呂波3768
- 7君君きみををを思思おもふふうととと君乎於毛布等
- 8術術すべももも無無なききき須敝毛奈伎
- 9戀戀こいのみのみのみしししつつつつつつ古非能未之都都
- 10哭哭ねのみのみのみしししぞぞぞ泣泣なくくく禰能未之曾奈久
- 11ぬばたまぬばたまぬばたまののの奴婆多麻乃3769
- 12夜夜よる見見みししし君君きみををを欲流見之君乎
- 13明明あくるくるくる朝朝あした安久流安之多
- 14逢逢あははわずずずまままにににしししててて安波受麻爾之弖
- 15今今いまぞぞぞ悔悔くやしきしきしき伊麻曾久夜思吉
- 16あぢまあぢまあじま野野のににに安治麻野爾3770
- 17宿宿やどれれれるるる君君きみががが屋杼禮流君我
- 18歸歸かえりりり來來こむむむ可反里許武
- 19時時ときののの迎迎むかへへえををを等伎能牟可倍乎
- 20何時何時いつとととかかか待待またたたむむん伊都等可麻多武
- 21宮宮みや人人びとののの宮人能3771
- 22安安やす眠眠いももも寢寢ねずずずててて夜須伊毛禰受弖
- 23今日今日きょう今日今日きょうととと家布家布等
- 24待待まつつつらむらむらんものものものををを麻都良武毛能乎
- 25見見みえええぬぬぬ君君きみかもかもかも美要奴君可聞
- 26歸歸かえりりりけるけるける可敝里家流3772
- 27人人ひと來來きたれれれりりりととと比等伎多禮里等
- 28いひいひいいしかしかしかばばば伊比之可婆
- 29ほとほとほとほとほとほと死死しにににききき保等保登之爾吉
- 30君君きみかかかととと思思おもひひいててて君香登於毛比弖
- 31君君きみががが共共むた君我牟多3773
- 32行行ゆかかかましましましものものものををを由可麻之毛能乎
- 33同同おなじじじことことこと於奈自許等
- 34後後おくれれれててて居居おれれれどどど於久禮弖乎禮杼
- 35良良よきききことことことももも無無なししし與伎許等毛奈之
- 36我我わががが背背せ子子こががが和我世故我3774
- 37歸歸かえりりり來來きまさまさまさむむん可反里吉麻佐武
- 38時時ときのののためためため等伎能多米
- 39命命いのち殘殘のこさささむむん伊能知能己佐牟
- 40忘忘わすれれれたまふたまふたまうななな和須禮多麻布奈
現代語訳
〔3767〕魂は朝にも夕べにも通い合っているけれど、私の胸は痛む。恋の思いがしきりなので。
〔3768〕この頃は、あなたを思うと、どうしようもない恋ばかりして、声をあげて泣いてばかりいます。
〔3769〕(ぬばたまの)夜にお逢いしたあなたに、明くる朝は逢わないままにしてしまって、今になって悔しいことです。
〔3770〕あぢま野に宿っておられるあなたが帰って来る時の迎えを、いつのことと待てばよいのでしょう。
〔3771〕宮仕えの人々も安眠もせずに今日か今日かと待っているでしょうに、帰って来ないあなたですね。
〔3772〕帰って来た人が着いたと人が言ったので、もう少しで死ぬところでした。あなたかと思って。
〔3773〕あなたと一緒に行けばよかったものを。同じことなら。あとに残っていても、よいことは何もありません。
〔3774〕わが夫が帰っていらっしゃる時のために、命を残しておきましょう。お忘れにならないでください。
意訳
都の狭野弟上娘子の歌である。魂は通い合っても胸が痛み、泣いてばかりいると嘆き、最後の夜の翌朝に逢わずに別れたことを悔やむ。配所のあぢま野から帰る日を待ちわび、赦されて帰る人がいると聞いて宅守かと思い死ぬほど驚いたという。一緒に行けばよかったと悔やみながらも、帰る日のために命を残そうと詠む。
語釈・文法注
文法・本文
- 魂ふれど
- 「たまふれど」。魂は通い合うけれど。
- 逢はずまにして
- 逢わないままにして。
- あぢま野
- 「あぢまの」。越前の配所の地。今の福井県越前市味真野。
- ほとほと
- もう少しで、危うく。
- 君が共
- 「きみがむた」。あなたとともに。
和歌
- 作者
- 狭野弟上娘子(生没年未詳(八世紀中頃))
後宮の蔵部に仕えた女嬬。「狭野茅上娘子」とも書く。中臣宅守と結ばれたが、宅守が越前に流され、離れて交わした二人の贈答歌六十三首が巻十五に載る。 - 出典
- 『万葉集』巻第十五・部立なし・3767〜3774番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 狭野弟上娘子が、配所の中臣宅守に贈った歌。
修辞
- 照応
- 3772番は、天平12年(740)の大赦で帰京した人々がいたことを背景にする。
解説
3772番の「帰りける人」は、天平12年の大赦で赦された流人を指すが、宅守は赦免されなかった。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、572頁(コマ79)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、674頁(コマ101)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日