万葉集 巻第十五 3731〜3737番
思ふ故に 逢ふものならば
配所に着いた中臣宅守の歌十四首の前半七首。思うことで逢えるものなら少しの間も離れていないという歌、昼は物思い夜は泣いてばかりという歌、妻の形見の衣がなかったら何で命をつなごうかという歌、遠い山も関も越えて来て今さら逢うすべもないのがさびしいという歌、思わずにいられようか、夜の夢にも妻が見えるのにという歌、遠く離れているので一日一夜も思わずにいると思うなという歌、他の人よりも妻がうらめしい、恋もせずにいられたのに思わせるという歌。
題詞中臣朝臣宅守、狹野弟上娘子と贈り答ふる歌
- 1思思おもふふう故故えににに於毛布惠爾3731
- 2逢逢あふふうものものものならならならばばば安布毛能奈良婆
- 3暫暫しましくしくしくももも之末思久毛
- 4妹妹いもががが目目め離離かれれれててて伊母我目可禮弖
- 5吾吾あれ居居おらららめめめやもやもやも安禮乎良米也母
- 6あかねあかねあかねさすさすさす安可禰佐須3732
- 7晝晝ひるははは物物もの思思もひひい比流波毛能母比
- 8ぬばたまぬばたまぬばたまののの奴婆多麻乃
- 9夜夜よるはははすがらすがらすがらににに欲流波須我良爾
- 10哭哭ねのみのみのみししし泣泣なかかかゆゆゆ禰能未之奈加由
- 11吾吾わぎ妹妹も子子こががが和伎毛故我3733
- 12形見形見かたみののの衣衣ころも可多美能許呂母
- 13なかりなかりなかりせせせばばば奈可里世婆
- 14何何なに物物ものもてもてもてかかか奈爾毛能母弖加
- 15命命いのち繼繼つがががましましまし伊能知都我麻之
- 16遠遠とおききき山山やま等保伎山3734
- 17關關せきももも越越こえええ來來きぬぬぬ世伎毛故要伎奴
- 18今今いま更更さらににに伊麻左良爾
- 19逢逢あふふうべきべきべきよしよしよしののの安布倍伎與之能
- 20無無なきききががが不樂不樂さぶしさしさしさ奈伎我佐夫之佐
- 21おもはおもはおもわずずずももも於毛波受母3735
- 22實實まことありありあり得得えむむむややや麻許等安里衣牟也
- 23さささ寢寢ぬるるる夜夜よののの左奴流欲能
- 24夢夢いめにににももも妹妹いもががが伊米爾毛伊母我
- 25見見みえええざらざらざらなくなくなくににに美延射良奈久爾
- 26遠遠とおくくくあれあれあればばば等保久安禮婆3736
- 27一一ひと日日ひ一一ひと夜夜よももも一日一夜毛
- 28思思おもははわずずずててて於母波受弖
- 29在在あるるるらむらむらんものものものととと安流良牟母能等
- 30思思おもほほおしししめすめすめすななな於毛保之賣須奈
- 31他人他人ひとよりよりよりははは比等余里波3737
- 32妹妹いもぞぞぞももも惡惡あしきしきしき伊毛曾母安之伎
- 33戀戀こいもももなくなくなく故非毛奈久
- 34あらあらあらましましましものものものををを安良末思毛能乎
- 35思思おもははわしめしめしめつつつつつつ於毛波之米都追
現代語訳
〔3731〕思うがゆえに逢えるものならば、しばらくの間でも、いとしい人と離れて私はいるだろうか。
〔3732〕(あかねさす)昼は物思いをし、(ぬばたまの)夜は夜通し、声をあげて泣けてくるばかりだ。
〔3733〕いとしい人の形見の衣がなかったなら、何によって命をつなごうか。
〔3734〕遠い山も関も越えて来てしまった。今さら逢うすべのないのがさびしいことだ。
〔3735〕思わずに本当にいられようか。寝る夜の夢にも、いとしい人が見えないことはないのに。
〔3736〕遠く離れているので、一日一夜も思わずにいるのだろうと、お思いにならないでください。
〔3737〕他の人よりも、いとしい人こそがうらめしい。恋などせずにいられたものを、こんなに思わせ続けて。
意訳
越前の配所に着いた中臣宅守が、都の娘子を思って詠んだ歌である。思うだけで逢えるならすぐにも逢うのに、昼も夜も泣いてばかりで、形見の衣だけが命をつなぐと嘆く。山も関も越えてしまって逢うすべもないさびしさ、夢にも見える恋しさを詠み、一日も忘れてはいないと娘子に訴え、恋させる娘子をうらめしいとさえ言う。
語釈・文法注
文法・本文
- 思ふ故に
- 「おもふゑに」。思うがゆえに。
- 目離れて
- 「めかれて」。逢わずに離れて。
- すがらに
- 夜通し。
- 不樂しさ
- 「さぶしさ」。さびしさ。
- 見えざらなくに
- 見えないことはないのに。
- 思ほしめすな
- お思いになるな。
和歌
- 作者
- 中臣宅守(生没年未詳(八世紀中頃))
中臣東人の子。狭野弟上娘子を妻としたころ越前国に流された(罪の理由ははっきりしない)。その間に娘子と交わした贈答歌が巻十五に載る。のち許されて都に戻った。 - 出典
- 『万葉集』巻第十五・部立なし・3731〜3737番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 中臣宅守が越前の配所で詠んだ歌。
修辞
- 反語
- 3731・3735番は反語で強い思いを表す。
解説
関は越前へ向かう道の愛発関(あらちのせき)を指すと考えられる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、570頁(コマ78)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、670頁(コマ99)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日