古典ライブラリー

万葉集 巻第六 1032〜1033番

天皇の 行幸の隨

大伴家持(おおとものやかもち)

天皇の行幸のお供をしているうちに、妻の手枕もせずに一月がたってしまった。志摩の海人が熊野の小船で沖を漕ぐのが見える。狭残の行宮での大伴家持の歌二首。

伊勢の海の沖に、熊野造りの小船に乗った海人たちが漕いでいく。岸の行宮から若い官人が眺めている

題詞狹殘の行宮にて大伴宿禰家持の作れる歌二首

  1. 1天皇おほきみ天皇おほきみおおきみののの天皇之1032
  2. 2行いで行いでいで幸まし幸ましましののの隨まに隨まにまに行幸之隨
  3. 3吾わぎ吾わぎわぎ妹も妹もも子こ子ここががが吾妹子之
  4. 4手た手たた枕まくら枕まくらまくら纒ま纒ままかかかずずず手枕不卷
  5. 5月つき月つきつきぞぞぞ歷へ歷へへにににけるけるける月曾歷去家留
  6. 6御み御みみ饌け饌けけつつつ國くに國くにくに御食國1033
  7. 7志摩しま志摩しましまののの海あ海ああ人ま人ままならならならししし志麻乃海部有之
  8. 8眞ま眞まま熊野くまぬ熊野くまぬくまぬののの眞熊野之
  9. 9小を小をお船ぶね船ぶねぶねににに乘の乘ののりりりててて小船爾乘而
  10. 10沖おき沖おきおき邊へ邊へへこぐこぐこぐ見み見みみゆゆゆ奧部榜所見

引用の仕方

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現代語訳

〔1032〕天皇の行幸のお供をしているうちに、妻の手枕もしないで、一月がたってしまった。

〔1033〕(御饌つ國)志摩の海人であるらしい。熊野造りの小船に乗って、沖のほうを漕いでいるのが見える。

意訳

天平12年(740)の伊勢行幸で、家持は狭残の行宮に泊まった。1032番は、行幸に従っているうちに妻と離れて一月もたってしまったと嘆き、1033番は、天皇の食膳に海の幸を献じる志摩の海人が、熊野の船で沖を漕ぐさまを眺めている。

語釈・文法注

文法・本文

行幸の隨
行幸のままに、お供をして。
御饌つ國
天皇の食膳に海産物を献じる国。志摩の枕詞。
眞熊野の小船
熊野で造られた型の船。

和歌

作者
大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守などを務め、のちに中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した。
出典
『万葉集』巻第六・雑歌・1032〜1033番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
状況
天平12年(740)の伊勢行幸の途中、狭残の行宮で大伴家持が詠んだ歌二首。

修辞

枕詞
1033番の「御饌つ國」が「志摩」にかかる。

解説

旅の嘆きと土地の風物を一首ずつ詠む、行幸従駕の歌の型にかなった組み合わせである。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、248頁(コマ128)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、271頁(コマ141)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日