万葉集 巻第六 942〜945番
あぢさはふ 妹が目かれて
妻と離れて、手枕も交わさず、桜の皮を巻いて作った舟で漕いでくると、淡路の野島も過ぎ、辛荷の島の間からわが家の方を見ても、青山に隠れて見えず、白雲が幾重にも重なる。島々の崎ごとに家を思う赤人の船旅の歌。
場面イラスト(準備中)
題詞辛荷島を過ぐる時、山部宿禰赤人の作れる歌一首并に短歌
- 1あぢあぢあじさはふさはふさわう妹妹いもががが目目めかれかれかれててて味澤相 妹目不數見而942 長歌
- 2敷敷しき妙妙たえののの枕枕まくらももも纏纏まかかかずずず敷細乃 枕毛不卷
- 3櫻櫻かに皮皮は纏纏まききき作作つくれれれるるる舟舟ふねににに櫻皮纏 作流舟二
- 4眞眞ま楫楫かじ貫貫ぬききき吾吾わががが榜榜こぎぎぎ來來くれれればばば眞梶貫 吾榜來者
- 5淡路淡路あわじののの野島野島ぬじまももも過過すぎぎぎ淡路乃 野島毛過
- 6印南都麻印南都麻いなみつま辛荷辛荷からにののの島島しまののの伊奈美嬬 辛荷乃島之
- 7島島しまののの際際まゆゆゆ吾吾わぎ宅宅へををを見見みれれればばば島際從 吾宅乎見者
- 8青青あお山山やまののの其處其處そことととももも見見みえええずずず青山乃 曾許十方不見
- 9白白しら雲雲くもももも千千ち重重へににになりなりなり來來きぬぬぬ白雲毛 千重爾成來沼
- 10漕漕こぎぎぎ回回たむむむるるる浦浦うらのののことごとことごとことごと許伎多武流 浦乃盡
- 11往往ゆききき隱隱かくるるる島島しまののの埼埼さき埼埼ざき徃隱 島乃埼々
- 12隈隈くまももも置置おかかかずずず憶憶おもひひいぞぞぞ吾吾わががが來來くるるる旅旅たびののの日日け長長ながみみみ隈毛不置 憶曾吾來 客乃氣長彌
- 13玉玉たま藻藻も苅苅かるるる玉藻苅943 反歌
- 14辛荷辛荷からにののの島島しまににに辛荷乃島爾
- 15島島しま回回みするするする島回爲流
- 16鵜鵜うにににしししもももあれあれあれややや水烏二四毛有哉
- 17家家いえ念念もはははざらざらざらむむん家不念有六
- 18島島しま隱隱がくりりり島隱944 反歌
- 19吾吾わががが榜榜こぎぎぎ來來くれれればばば吾榜來者
- 20羨羨ともしかもしかもしかも乏毳
- 21大和大和やまとへへへ上上のぼるるる倭邊上
- 22眞眞ま熊野熊野くまぬののの船船ふね眞熊野之船
- 23風風かぜ吹吹ふけけけばばば風吹者945 反歌
- 24浪浪なみかかか立立たたたたむむんととと浪可將立跡
- 25伺伺さもらい候候に伺候爾
- 26都多都多つたののの細細ほそ江江えににに都多乃細江爾
- 27浦浦うら隱隱がくりりり居居おりりり浦隱居
現代語訳
〔942〕(あぢさはふ)妻の顔も見られなくなって、(敷妙の)手枕も交わさず、桜の皮を巻いて作った舟に、両舷の楫を通して私が漕いで来ると、淡路の野島も過ぎ、印南都麻、辛荷の島の、島の間からわが家の方を見ると、青山のどのあたりとも見分けがつかず、白雲も幾重にも重なってきた。漕ぎめぐる浦ごとに、行き隠れる島の崎ごとに、隈も残さず、家を思いながら私は来る。旅の日数が長いので。
〔943〕玉藻を刈る辛荷の島で島めぐりをしている鵜ででもあるのか、私は。家を思わずにいられようか。
〔944〕島に隠れながら私が漕いで来ると、うらやましいことよ。大和へ上っていく熊野の船が。
〔945〕風が吹くと波が立つだろうかと、様子をうかがって、都多の細江に、浦に隠れて泊まっている。
意訳
播磨の辛荷島(兵庫県たつの市の唐荷島)を通った船旅の歌である。妻と別れて舟を漕ぎ進めると、島の間から家の方を振り返っても、青山と白雲に隔てられて見えない。浦ごと崎ごとに家を思う。反歌では、島をめぐる鵜とは違い人である自分は家を思わずにいられないと嘆き、大和へ上る船をうらやみ、風を避けて入り江にひそむ旅の不安を歌っている。
語釈・文法注
文法・本文
- あぢさはふ
- 「妹が目」にかかる枕詞。
- 櫻皮纏き
- 桜の皮を巻きつけて補強した舟。
- 伺候に
- 「さもらふ」は様子をうかがって待つ。
和歌
- 作者
- 山部赤人(生没年未詳)
聖武天皇の時代の宮廷歌人。自然の景色を清らかに描く叙景歌にすぐれ、のちに人麻呂とともに歌聖とたたえられた。 - 出典
- 『万葉集』巻第六・雑歌・942〜945番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 山部赤人が、播磨国の辛荷島を通るときに詠んだ長歌と反歌三首。
修辞
- 対句
- 「漕ぎ回むる浦のことごと」と「往き隱る島の埼埼」。
- 枕詞
- 「あぢさはふ」「敷妙の」。
解説
赤人の旅の歌は、景色の描写のうちに家を思う情を静かににじませる。辛荷島は唐荷島とも書き、室津(兵庫県たつの市)の沖にある。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、231頁(コマ119)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、252頁(コマ132)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日