万葉集 巻第五 886〜891番
うち日さす 宮へ上ると
都へ上ろうと母の手を離れ、知らない国を越えて行く途中、病に倒れて道ばたの草を枕に臥す。故郷にいたら父が、家にいたら母が看取ってくれただろうに、犬のように道に倒れて死ぬのか。熊凝の無念を思いやった山上憶良の歌六首。
題詞敬みて熊凝の爲に其の志を述ぶる歌に和する六首并に序(筑前國守山上憶良)
- 1うちうちうち日日ひさすさすさす宮宮みやへへへ上上のぼるるるととと宇知比佐受 宮弊能保留等886 長歌
- 2垂垂たら乳乳ち爲爲しややや母母ははががが手手て離離はなれれれ多羅知斯夜 波波何手波奈例
- 3常常つね知知しらららぬぬぬ國國くにののの奧奧おく處處かををを常斯良奴 國乃意久迦袁
- 4百百もも重重へ山山やま越越こえええててて過過すぎぎぎ行行ゆききき百重山 越弖須疑由伎
- 5何何い時時つしかしかしかももも京師京師みやこををを見見みむむむととと伊都斯可母 京師乎美武等
- 6思思おもひひいつつつつつつ語語かたらひらひらい居居おれれれどどど意母比都々 迦多良比袁禮騰
- 7己己おのががが身身みしししいたはしけれいたはしけれいたわしければばば意乃何身志 伊多波斯計禮婆
- 8玉玉たま桙桙ほこののの道道みちののの隈隈くま囘囘みににに玉桙乃 道乃久麻尾爾
- 9草草くさ手手た折折おりりり柴柴しば取取とりりり敷敷しきききててて久佐太袁利 志婆刀利志伎提
- 10とけとけとけじものじものじものうちうちうち臥臥こい伏伏ふしししててて等計自母能 宇知許伊布志提
- 11思思おもひひいつつつつつつ歎歎なげききき臥臥ふせせせらくらくらく意母比都都 奈宜伎布勢良久
- 12國國くにににに在在あらららばばば父父ちちとりとりとり見見みましましまし國爾阿良婆 父刀利美麻之
- 13家家いえににに在在あらららばばば母母ははとりとりとり見見みましましまし家爾阿良婆 母刀利美麻志
- 14世間世間よのなかははは斯斯かくくくのみのみのみならならならししし世間波 迦久乃尾奈良志
- 15狗狗いぬじものじものじもの道道みちににに臥臥ふしししてててややや命命いのち過過すぎぎぎなむなむなん伊奴時母能 道爾布斯弖夜 伊能知周疑南
- 16垂垂たら乳乳ち爲爲しののの多良知子能887 反歌
- 17母母ははががが目目め見見みずずずててて波波何目美受提
- 18欝欝おほほしくくく意保々斯久
- 19何方何方いずち向向むきききてててかかか伊豆知武伎提可
- 20吾吾あががが別別わかるるるらむらむらん阿我和可留良武
- 21常常つね知知しらららぬぬぬ都禰斯良農888 反歌
- 22道道みちののの長長なが路路てををを道乃長手袁
- 23くれぐれくれぐれくれぐれととと久禮久禮等
- 24如何如何いかにににかかか行行ゆかかかむむん伊可爾可由迦牟
- 25糧糧かり米米てははは無無なしししににに可利弖波奈斯爾
- 26家家いえににに在在ありりりててて家爾阿利弖889 反歌
- 27母母ははがががとりとりとり見見みばばば波波何刀利美婆
- 28慰慰なぐさむるむるむる奈具佐牟流
- 29心心こころはははあらあらあらましましまし許許呂波阿良麻志
- 30死死しなななばばば死死しぬぬぬともともとも斯奈婆斯農等母
- 31出出いでででててて行行ゆきききししし出弖由伎斯890 反歌
- 32日日ひををを數數かぞへへへつつつつつつ日乎可俗閉都都
- 33今日今日きょう今日今日きょうととと家布家布等
- 34吾吾あををを待待またたたすすすらむらむらん阿袁麻多周良武
- 35父父ちち母母ははらららはははももも知知波波良波母
- 36一一ひと世世よにににははは一世爾波891 反歌
- 37二二ふた遍遍たび見見みえええぬぬぬ二遍美延農
- 38父父ちち母母ははををを知知波波袁
- 39置置おきききてててややや長長ながくくく意伎弖夜奈何久
- 40吾吾あががが別別わかれれれなむなむなん阿我和加禮南
現代語訳
〔886〕(うち日さす)都へ上ろうとして、(垂乳爲や)母の手を離れ、いつもは知らない国の奥地を、幾重もの山を越えて過ぎて行き、いつになったら都を見られるだろうかと思いながら語り合っていたが、わが身が病んで苦しいので、(玉桙の)道の曲がり角に、草を手折り、柴を取って敷いて、床のように、うち伏して臥し、思いながら嘆き臥していることには、故郷にいたなら父が看取ってくれるだろう、家にいたなら母が看取ってくれるだろう。世の中とはこういうものであるらしい。犬のように道に臥して、命が尽きてしまうのだろうか。
〔887〕(垂乳爲の)母の顔も見ずに、心も晴れず、どちらへ向いて私は別れて行くのだろう。
〔888〕いつもは知らない道の長い道のりを、心細く、どのように行ったらよいのだろう。食糧もなくて。
〔889〕家にいて母が看取ってくれたなら、慰められる心もあっただろうに。死ぬなら死んでもかまわないが。
〔890〕家を出て行った日を数えながら、今日か今日かと私を待っていらっしゃるだろう、父母は。
〔891〕一生のうちに二度とは会えない父母を、後に残して、長く私は別れてしまうのだろうか。
意訳
序によれば、十八歳の熊凝は臨終に、仮のものである人の身は滅びやすい、ただ老いた親が自分を待ちわびて悲しむのがつらいと嘆いた。憶良は、その心を六首に詠んだ。都を見ようと故郷を出て、道ばたで病に倒れ、故郷にいれば父母が看取ってくれたのにと嘆く長歌に続き、反歌では、母に会えずに別れる悲しみ、帰らぬ子を今日か今日かと待つ父母の姿を思いやっている。若者の死と、残される親の悲しみとに深く寄り添った、憶良の代表作の一つである。
語釈・文法注
文法・本文
- 奧處
- 「おくか」は奥深い所、果て。
- とけじもの
- 語義未詳。床のように、の意とする説がある。
- 臥伏して
- 「こいふす」はうち伏す、ころがり伏す。
- 糧米
- 「かりて」は旅の食糧。
和歌
- 作者
- 山上憶良(660?–733?)
遣唐使に加わって唐に渡り、のちに筑前守となった。大宰府で大伴旅人と交わり、人生や社会、家族への愛を詠んだ独自の歌を残した。 - 出典
- 『万葉集』巻第五・雑歌・886〜891番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 天平3年(731)、旅の途中で病死した肥後の若者大伴熊凝のために、筑前守山上憶良が麻田陽春の歌(884・885番)に和して、熊凝の志を述べた長歌と反歌五首。漢文の序がある。
修辞
- 対句
- 「國に在らば父とり見まし」と「家に在らば母とり見まし」。
- 枕詞
- 「うち日さす」「垂乳爲や」「玉桙の」。
解説
相撲使は、毎年七月の宮中の相撲の節会のために、諸国から力士を引率して上京する役人である。熊凝はその従者として旅立った。旅先で死ぬ若者と、それを知らずに待つ父母の悲しみは、憶良が繰り返し取り上げた主題である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、206頁(コマ107)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、225頁(コマ118)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日