万葉集 巻第三 481〜483番
白妙の 袖さし交へて
黒髪が白くなるまで一緒にいようと約束した妻は、幼な子を残して相楽山の山あいへ去ってしまった。泣く子を抱いて朝夕泣いても、妻の入った山を形見と思うしかない。巻第三を締めくくる挽歌。
題詞死せる妻を悲傷みて、高橋朝臣の作れる歌一首并に短歌
- 1白白しろ妙妙たえののの袖袖そでさしさしさし交交かへへへててて白細之 袖指可倍氏481 長歌
- 2靡靡なびききき寢寢ねしししわがわがわが黑黑くろ髮髮かみののの靡寢 吾黑髮乃
- 3ままま白白しら髮髮がににに成成ならららむむん極極きわみ眞白髮爾 成極
- 4新新あら世世たよににに共共ともにににあらあらあらむむんととと新世爾 共將有跡
- 5玉玉たまののの緒緒をののの絕絕たえええじじじいいい妹妹いもととと玉緒乃 不絕射妹跡
- 6結結むすびびびてててししし言言ことははは果果はたさささずずず結而石 事者不果
- 7思思おもへへえりりりししし心心こころははは遂遂とげげげずずず思有之 心者不遂
- 8白白しろ妙妙たえののの袂袂たもとををを別別わかれれれ白妙之 手本矣別
- 9にきびにきびにきびにににししし家家いえゆゆゆももも出出いでででててて丹杵火爾之 家從裳出而
- 10綠綠みどり兒兒ごののの泣泣なくくくをををももも置置おきききててて綠兒乃 哭乎毛置而
- 11朝朝あさ霧霧ぎりののの髣髴髣髴おおににになりなりなりつつつつつつ朝霧 髣髴爲乍
- 12山城山城やましろののの相樂相樂さがらか山山やまののの山代乃 相樂山乃
- 13山山やまののの際際まををを往往ゆききき過過すぎぎぎぬれぬれぬればばば山際 徃過奴禮婆
- 14言言いははわむむんすべすべすべ爲爲せむむんすべすべすべ知知しらららににに將云爲便 將爲便不知
- 15吾吾わぎ妹妹も子子ことととさささ宿宿ねししし妻妻つま屋屋やににに吾妹子跡 左宿之妻屋爾
- 16朝朝あしたにににははは出出いででで立立たちちち偲偲しのびびび朝庭 出立偲
- 17夕夕ゆうべにににははは入入いりりり居居い嘆嘆なげかひかひかい夕爾波 入居嘆會
- 18腋腋わき挾挾ばさむむむ兒兒こののの泣泣なくくく每每ごとににに腋挾 兒乃泣毎
- 19男男おとこじものじものじもの負負おひひいみみみ抱抱むだきききみみみ雄自毛能 負見抱見
- 20朝朝あさ鳥鳥とりののの音音ねのみのみのみ哭哭なきききつつつつつつ朝鳥之 啼耳哭管
- 21戀戀こふれふれうれどもどもども效效しるしををを無無なみみみととと雖戀 効矣無跡
- 22言言こと問問とはははぬぬぬものものものにににはははあれあれあれどどど辭不問 物爾波在跡
- 23吾吾わぎ妹妹も子子こががが入入いりりりにににししし山山やまををを所緣所緣よすがとととぞぞぞ念念おもふふう吾妹子之 入爾之山乎 因鹿跡叙念
- 24うつせみうつせみうつせみののの打背見乃482 反歌
- 25世世よののの事事ことなれなれなればばば世之事爾在者
- 26外外よそににに見見みししし外爾見之
- 27山山やまをををややや今今いまははは山矣耶今者
- 28所緣所緣よすがととと思思おもははわむむん因香跡思波牟
- 29朝朝あさ鳥鳥とりののの朝鳥之483 反歌
- 30音音ねのみのみのみししし泣泣なかかかむむん啼耳鳴六
- 31吾吾わぎ妹妹も子子こににに吾妹子爾
- 32今今いままたまたまた更更さらににに今亦更
- 33逢逢あふふうよしよしよしををを無無なみみみ逢因矣無
現代語訳
〔481〕白い袖をさし交わして寄り添って寝た、私の黒髪がまっ白な髪になる果てまで、新しい世にもともにいようと、(玉の緒の)絶えまいと妻と結んだ約束は果たさず、思っていた心は遂げられず、(白妙の)袂を分かって、住みなれた家からも出て、幼な子が泣くのも置いて、朝霧のようにぼんやりとなりながら、山城の相楽山の山あいを行き過ぎてしまったので、言いようもなく、なすすべも知らずに、妻と寝た寝屋で、朝には外に出てしのび、夕べには中に入って座って嘆き、脇にかかえた子が泣くたびに、男の身でありながら、背負ったり抱いたりして、(朝鳥の)声をあげて泣きながら恋しく思うけれど、かいもないので、物を言わない山ではあるけれど、妻が入っていった山を、形見と思うことだ。
〔482〕(うつせみの)この世のことであるから、よそのものとして見ていた山を、今は形見と思おう。
〔483〕(朝鳥の)声をあげて泣くばかりだろう。妻に、今また再び逢うすべもないので。
意訳
高橋朝臣は、黒髪が白髪になるまで一緒にいようと約束した妻を亡くした。妻は幼い子を残して、相楽山の山あいに葬られた。夫は妻と過ごした寝屋で朝夕嘆き、泣く子を男の手で背負ったり抱いたりしながら、自分も声をあげて泣く。物を言わない山だけれど、妻が入っていった山を形見として思うほかないと、深い喪失感を歌っている。
語釈・文法注
文法・本文
- にきびにし
- 「にきぶ」は慣れ親しむ。住みなれた。
- 所緣
- 「よすが」は、よりどころ、形見。
和歌
- 作者
- 高橋朝臣(生没年未詳)
名は伝わらない。左注に「奉膳の男子」とあり、宮中の食膳を司る家の人とみられる。 - 出典
- 『万葉集』巻第三・挽歌・481〜483番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 高橋朝臣(名は伝わらない)が、亡くなった妻を悲しんで詠んだ長歌と反歌二首。左注に7月20日の作とある。
修辞
- 対句
- 「言は果さず」と「心は遂げず」、「朝には出で立ち偲び」と「夕には入り居嘆かひ」。
- 枕詞
- 「白妙の」「玉の緒の」「うつせみの」「朝鳥の」。
解説
幼な子を抱いて泣く父の姿は、人麻呂の泣血哀慟歌(巻第二の210番)の影響を強く受けている。巻第三はこの歌で終わる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、128頁(コマ68)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、132頁(コマ72)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日