古典ライブラリー

万葉集 巻第二 226〜227番

荒浪に

丹比真人(たじひのまひと)

荒波に打ち寄せられる玉を枕にして、私がここに横たわっていると、誰が妻に告げてくれるだろう。丹比真人が死んだ人麻呂の心になって、妻の歌に答えた歌。続いて、作者のわからない「或本の歌」を収める。

荒波の打ち寄せる浜辺に、白い玉石が散らばり、遠くの荒野に夕日が沈んでいく
荒波の打ち寄せる浜辺に、白い玉石が散らばり、遠くの荒野に夕日が沈んでいく

題詞丹比眞人(名闕く)、柿本朝臣人麿の意に擬へて報ふる歌一首

  1. 1荒あら荒あらあら浪なみ浪なみなみににに荒浪爾226
  2. 2寄よ寄よよりりりくるくるくる玉たま玉たまたまををを緣來玉乎
  3. 3枕まくら枕まくらまくらににに置お置おおききき枕爾置
  4. 4吾われ吾われわれここここここにににありありありととと吾此間有跡
  5. 5誰たれ誰たれたれかかか告つ告つつげげげなむなむなん誰將告
  6. 6天あま天あまあま離ざか離ざかざか天離227 或本の歌
  7. 7夷ひな夷ひなひなののの荒あら荒あらあら野ぬ野ぬぬににに夷之荒野爾
  8. 8君きみ君きみきみををを置お置おおきききててて君乎置而
  9. 9念おも念おもおもひひいつつつつつつあれあれあればばば念乍有者
  10. 10生い生いいけけけりりりともともともなしなしなし生刀毛無

引用の仕方

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現代語訳

〔226〕荒波に寄せられてくる玉を枕のそばに置いて、私がここに横たわっていると、誰が妻に告げてくれるだろうか。

〔227〕(天離る)遠い田舎の荒野にあなたを置いたまま、思い続けていると、生きている心地もしない。

意訳

223番で人麻呂は山の岩を枕に死ぬと歌い、224番で妻は夫が石川の貝にまじっていると歌った。丹比真人は、死んだ人麻呂になりかわって、波に寄せられる玉を枕に横たわっている自分のことを、誰が妻に知らせてくれるだろうかと答える。227番は、遠い地の荒野に夫を置いてきた妻の悲しみを歌う、作者のわからない歌である。

語釈・文法注

天離(あまざか)る
「夷(ひな)」にかかる枕詞。天のように遠く離れた、の意。

文法・本文

誰か告げなむ
「なむ」は推量。「か」の結びで連体形。誰が告げてくれるだろうか。
生けりともなし
生きているとも思えない。212番・215番にも同じ結句がある。

和歌

作者
丹比真人(生没年未詳)
丹比氏の人。題詞に「名闕く」とあり、名は伝わらない。
出典
『万葉集』巻第二・挽歌・226〜227番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
226番は、丹比真人(名は伝わらない)が人麻呂の心になって、依羅娘子の歌(224〜225番)に答えた歌。227番は「或本の歌に曰く」として載る歌で、左注に「作者はわからないが、古い本がこの歌をここに載せている」とある。

解説

223〜227番は、人麻呂の辞世、妻の悲しみ、人麻呂になりかわった答え、と歌が応答するように並べられており、人麻呂の死をめぐる一つの歌物語のようになっている。226番が、人麻呂自身の行路死人歌(220〜222番)の「荒床により臥す君」や「奧つ波來よる荒磯を敷妙の枕と纏きて」を思わせることも、そうした見方を支えている。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、77頁(コマ42)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、72頁(コマ42)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日