古典ライブラリー

万葉集 巻第二 224〜225番

今日今日と

依羅娘子(よさみのおとめ)

今日こそは、今日こそはと待っていた夫は、石川の貝にまじって横たわっているというではないか。もう直接逢うことはできない。せめて石川に雲よ立ちわたれ、それを見て夫をしのぼう。人麻呂の妻、依羅娘子の歌。

川の流れの上に白い雲がたなびき、岸辺に立つ女性がその雲をじっと見つめている
川の流れの上に白い雲がたなびき、岸辺に立つ女性がその雲をじっと見つめている

題詞柿本朝臣人麿、死せし時、妻依羅娘子の作れる歌二首

  1. 1今日けふ今日けふきょう今日けふ今日けふきょうととと且今日且今日224
  2. 2吾わ吾わわががが待ま待ままつつつ君きみ君きみきみははは吾待君者
  3. 3ののの石水
  4. 4貝かひ貝かひかいににに交まじ交まじまじりりりててて貝爾交而
  5. 5在あ在あありりりととといはいはいわずずずやもやもやも有登不言八方
  6. 6直ただ直ただただののの逢あひ逢あひあいははは直相者225
  7. 7逢あ逢ああひひいかつかつかつましじましじましじ相不勝
  8. 8石川いしかは石川いしかはいしかわににに石川爾
  9. 9雲くも雲くもくも立た立たたちちち渡わた渡わたわたれれれ雲立渡禮
  10. 10見み見みみつつつつつつ偲しの偲しのしのばばばむむん見乍將偲

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

〔224〕今日こそは、今日こそはと私が待っているあなたは、石川の貝にまじって横たわっているというではありませんか。

〔225〕じかに逢うことは、もうできないだろう。石川に雲よ立ちわたっておくれ。それを見ながらあなたをしのぼう。

意訳

依羅娘子は、今日こそ帰ってくるかと夫を待ち続けていた。そこへ届いたのは、夫が石川の貝にまじって横たわっているという知らせだった。もう二度と夫に逢うことはできない。古代には、雲は死者の魂が姿を変えたものと考えられていた。妻は、夫の亡くなった石川に雲が立ちのぼることを願い、その雲を夫の形見として見つめようとする。

語釈・文法注

石川(いしかは)
人麻呂が亡くなった場所の川。石見国の江の川とする説、大和国や河内国の石川とする説がある。原文は「石水」と書く。

文法・本文

在りといはずやも
「やも」は反語。いるというではないか。
逢ひかつましじ
「かつ」はできる、「ましじ」は打消推量。逢うことはできないだろう。

和歌

作者
依羅娘子(生没年未詳)
柿本人麻呂の妻。巻第二の140番に、石見から都へ上る人麻呂と別れるときの歌もある。
出典
『万葉集』巻第二・挽歌・224〜225番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
柿本人麻呂が亡くなったときに、妻の依羅娘子が詠んだ歌二首。223番の人麻呂の辞世に応えるように並べられている。

解説

223番では人麻呂が「鴨山の磐根」で死ぬと歌い、この歌では妻が「石川の貝に交りて」と歌っていて、山と川という食い違いがある。そのため、鴨山のふもとを石川が流れているとみる説や、歌物語として作られたために合わないのだとみる説など、さまざまな議論がある。

225番の、雲を見て死者をしのぶという発想は、140番などにも見られる古代の霊魂観にもとづいている。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、76頁(コマ42)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、72頁(コマ42)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日