万葉集 巻第二 223番
鴨山の
鴨山の岩を枕にして死んでいく私を、そうとも知らずに、妻は今も待ち続けているのだろうか。柿本人麻呂が石見国で死を前にして詠んだと伝える辞世の歌。

題詞柿本朝臣人麿、石見國に在りて死に臨みし時、自ら傷みて作れる歌一首
現代語訳
鴨山の岩を枕にして横たわっている私を、そうとは知らずに、妻は待ち続けていることだろうか。
意訳
都から遠い石見国(今の島根県西部)で、人麻呂は死を迎えようとしている。山の岩を枕に横たわりながら思うのは、夫の死も知らずに帰りを待っている妻のことである。220番で行き倒れの死者とその妻を思いやった人麻呂が、ここでは自分自身を同じ立場に置いて歌っている。
語釈・文法注
- 鴨山(かもやま)
- 石見国の山とされるが、場所は定かでない。島根県益田市の鴨島、邑南町の亀山など諸説がある。
文法・本文
- 磐根し纏ける
- 「し」は強め。「纏く」は枕にする。岩を枕にしている。
- 知らにと
- 「に」は打消の連用形。知らずに。
和歌
- 作者
- 柿本人麻呂(生没年未詳(7世紀後半〜8世紀初め))
持統天皇・文武天皇の時代に宮廷に仕えた歌人。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・挽歌・223番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 柿本人麻呂が石見国にいて、死に臨んだときに自らを悼んで詠んだと題詞にある歌。続く224〜227番に、妻の依羅娘子の歌と、丹比真人が人麻呂の心になって詠んだ歌がある。
解説
人麻呂の死については、この歌と224〜227番のほかに確かな記録がなく、死んだ場所も年もわからない。この歌を本当に人麻呂の辞世とみる説のほか、行路死人歌の形を借りて、後の人が人麻呂の死を物語として作ったとみる説もある。
斎藤茂吉は、鴨山の場所を探し求めて『鴨山考』を著した。歌聖とたたえられた人麻呂の謎めいた最期は、後世の人々の想像をかきたててきた。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、76頁(コマ42)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、72頁(コマ42)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日