万葉集 巻第二 204〜206番
やすみしし わが王 高光る 日の皇子
わが大君、日の御子は、神として天の宮にお隠れになった。それが恐れ多くて、昼も夜も伏して嘆くけれど、嘆き足りない。弓削皇子の死を悼む置始東人の長歌と短歌。

題詞弓削皇子薨じ給ひし時、置始東人の歌一首并に短歌
- 1やすみししやすみししやすみししわがわがわが王王おおきみ安見知之 吾王204 長歌
- 2高高たか光光ひかるるる日日ひののの皇子皇子みこ高光 日之皇子
- 3ひさかたひさかたひさかたののの天天あまつつつ宮宮みやににに久堅乃 天宮爾
- 4神神かむながらながらながら神神かみととと坐坐いませせせばばば神隨 神等座者
- 5其其そこをををしもしもしもあやあやあやにににかしこみかしこみかしこみ其乎霜 文爾恐美
- 6晝晝ひるはははももも日日ひのののことごとことごとことごと晝波毛 日之盡
- 7夜夜よるはははももも夜夜よのののことごとことごとことごと夜羽毛 夜之盡
- 8臥臥ふししし居居い嘆嘆なげけけけどどど飽飽あききき足足たらららぬぬぬかもかもかも臥居雖嘆 飽不足香裳
- 9王王おおきみははは王者205 反歌
- 10神神かみにににしししませませませばばば神西座者
- 11天天あま雲雲ぐもののの天雲之
- 12ががが下下したににに五百重之下爾
- 13隱隱かくりりりたまひたまひたまいぬぬぬ隱賜奴
- 14さざなみさざなみさざなみののの神樂波之206 又短歌
- 15志賀志賀しがさざれさざれさざれ波波なみ志賀左射禮浪
- 16しくしくしくしくしくしく敷布爾
- 17常常つねにににととと君君きみががが常丹跡君之
- 18念念おもほせほせおせりりりけるけるける所念有計類
現代語訳
〔204〕わが大君、高く光る日の御子は、(ひさかたの)天の宮に神のままに神としておいでになるので、それをまことに恐れ多く思って、昼は一日中、夜は一晩中、伏したり座ったりして嘆くけれど、嘆き足りないことだ。
〔205〕大君は神でいらっしゃるので、天雲の幾重にも重なった奥にお隠れになってしまった。
〔206〕(さざなみの)志賀のさざ波がしきりに寄せるように、いつまでもこうあってほしいと、君はお思いになっていたのに。
意訳
文武天皇3年(699)、天武天皇の皇子弓削皇子が若くして亡くなった。皇子に仕えた置始東人は、皇子が神となって天の宮に隠れてしまったと歌い、昼も夜も嘆き続けても嘆き足りない悲しみを表す。206番は、皇子が生前、志賀のさざ波のようにいつまでも変わらずにあることを願っていたのに、と嘆く歌である。
語釈・文法注
- 五百重(いほへ)
- 幾重にも重なっていること。
- しくしくに
- しきりに、絶え間なく。原文「敷布爾」。
文法・本文
- 臥し居嘆けど
- 伏したり座ったりして嘆くけれど。身の置き所もない悲しみを表す。
和歌
- 作者
- 置始東人(7世紀末〜8世紀初め)
持統・文武天皇の時代の官人。66番の旅の歌の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・挽歌・204〜206番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 文武天皇3年(699)7月、弓削皇子が亡くなったとき、置始東人が詠んだ長歌と反歌、又の短歌。
修辞
- 対句
- 「晝はも日のことごと」と「夜はも夜のことごと」。
- 序詞
- 206番の「さざなみの志賀さざれ波」が「しくしくに」を導く。
解説
弓削皇子は、111番で額田王と歌を交わし、119〜122番で紀皇女への恋を歌った皇子である。兄の長皇子とも仲がよかった(130番)。皇子の死を悼むこの歌は、皇族を神としてたたえる宮廷挽歌の型に従いながら、仕えた者の素朴な悲しみを伝えている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、71頁(コマ39)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、67頁(コマ39)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日