万葉集 巻第二 203番
零る雪は
降る雪よ、たくさん降らないでおくれ。あの人の眠る吉隠の猪養の岡が寒いだろうから。恋人但馬皇女の墓を雪の日に望んで、穂積皇子が涙ながらに詠んだ歌。

題詞但馬皇女薨じ給ひし後、穂積皇子、冬の日雪落るに、遥に御墓を望み、悲傷流涕して御作歌一首
現代語訳
降る雪よ、たくさん降らないでおくれ。吉隠の猪養の岡が寒いだろうから。
意訳
但馬皇女は、異母兄の高市皇子の宮にいながら穂積皇子と恋をし、噂の中でも恋をつらぬいた(114〜116番)。その皇女が和銅元年(708)に亡くなり、吉隠の猪養の岡に葬られた。冬の雪の日、穂積皇子ははるかに皇女の墓を望み、そこに眠る人が寒いだろうから雪よ降らないでくれと、涙ながらに祈る。死者をなお生きている人のように気づかう、深い愛情の歌である。
語釈・文法注
- あはに
- たくさん、ひどく。原文「安幡爾」。
- 吉隱(よなばり)
- 大和国の地名。今の奈良県桜井市吉隠。
文法・本文
- 寒からまくに
- 「まく」は推量「む」のク語法、「に」は詠嘆・理由。寒いだろうから。
和歌
- 作者
- 穂積皇子(?–715)
天武天皇の皇子。異母妹の但馬皇女と恋をした。のちに知太政官事となった。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・挽歌・203番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 和銅元年(708)6月に但馬皇女が亡くなった後、冬の雪の日に、穂積皇子が皇女の墓をはるかに望んで、悲しみに涙を流して詠んだ歌。
解説
114〜116番で穂積皇子への激しい恋を歌った但馬皇女の死後、その恋人である穂積皇子が詠んだ挽歌である。二人の恋の結末を伝える歌として、相聞の三首と並べて読まれることが多い。
墓に眠る人の寒さを気づかうという発想は、死者の魂がなお墓にとどまって感じていると考えた古代の死生観をうかがわせる。短い言葉の中に、深い愛惜の情がこめられている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、71頁(コマ39)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、67頁(コマ39)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日