万葉集 巻第二 155番
やすみしし わご大王の かしこきや
大君の山科の御陵にお仕えして、夜は夜通し、昼は日がな一日、声をあげて泣き続けていた大宮人たちは、ついに別れ去っていくのだろうか。天智天皇の陵での奉仕を終えた額田王の長歌。

題詞山科御陵より退り散りし時、額田王の作れる歌一首
現代語訳
わが大君の、おそれ多い御陵にお仕えする山科の鏡の山で、夜は夜通し、昼は一日中、声をあげて泣き続けていて、(百磯城の)大宮人たちは、いよいよ別れ去っていくのだろうか。
意訳
天智天皇の陵が山科の鏡山に造られ、大宮人たちは昼夜を問わずそこに仕えて泣き続けた。その奉仕の期間が終わり、人々は散り散りに去っていく。天皇の死から始まった喪の時が終わり、ひとつの時代が本当に終わることを、額田王は惜別の思いをこめて歌っている。
語釈・文法注
- 御陵(みはか)
- 天皇の墓。天智天皇の山科陵(京都市山科区)。
文法・本文
- 夜はも夜のことごと 晝はも日のことごと
- 対句で、昼夜を問わず泣き続けたことを表す。
- 去き別れなむ
- 「な」は完了、「む」は推量。別れ去ってしまうのだろうか。
和歌
- 作者
- 額田王(生没年未詳(7世紀後半))
天智・天武天皇の時代を代表する女性歌人。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・挽歌・155番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第1期(629〜672年(舒明天皇の即位〜壬申の乱))
- 状況
- 天智天皇の山科陵での奉仕を終えて、人々が退き散ったときに額田王が詠んだ長歌。
修辞
- 対句
- 「夜はも夜のことごと」と「晝はも日のことごと」。
解説
天智天皇の山科陵は、壬申の乱の影響もあって、完成が遅れたと考えられている。陵での奉仕を終えて人々が去っていく場面は、近江朝の終わりを象徴するものであった。
額田王は、天智天皇の宮廷で活躍した歌人として、その終わりを見届ける歌を詠んだ。巻第二の挽歌の中でも、ひとつの時代への別れを歌った作品として重要である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、62頁(コマ35)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、57頁(コマ34)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日