万葉集 巻第二 145番
鳥翔なす
皇子の魂は鳥のように天をかけて、いつも通ってきて見ているだろうが、人にはそれがわからない。松だけは知っているだろう。有間皇子をしのぶ山上憶良の歌。

題詞山上臣憶良、追和せる歌一首
現代語訳
(皇子の魂は)鳥が空を翔けるように、いつも通ってきてこの松を見ているだろうけれど、人にはそれがわからない。松だけは知っているだろう。
意訳
143番の「人はかへりて亦見けむかも」という問いに、憶良は「皇子の魂は鳥のように飛んできて、いつも見ているのだ」と答える。古代、人の魂は死後に鳥となって飛ぶと信じられていた。人の目には見えなくても、結ばれた松だけはそれを知っている。皇子の魂を慰めるような、静かな追悼の歌である。
語釈・文法注
- 鳥翔(つばさ)なす
- 鳥が空をかけるように。魂が鳥となって飛ぶという信仰をふまえる。
文法・本文
- 人こそ知らね
- 「こそ」の結びで打消「ず」の已然形「ね」。逆接的に次へ続く。
- 左注
- 「右の件の歌等は、柩を挽く時に作る所にあらずといへども、歌の意に准擬す。故以て挽歌の類に載す」とある。
和歌
- 作者
- 山上憶良(660–733?)
遣唐使として唐に渡り、のち筑前守となった。人生や社会を見つめた歌を多く残した。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・挽歌・145番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 山上憶良が、長意吉麻呂の143・144番の歌に追って和えた歌。
解説
憶良は、意吉麻呂の歌の問いかけを受けて、皇子の魂は今も松のもとへ通っているのだと答えている。魂が鳥の姿になって飛びまわるという古代の信仰が背景にある。
左注は、143〜145番が実際の葬送の場で作られたものではないが、その内容が死者を悼むものなので、挽歌の部に入れたと説明している。万葉集の部立の考え方がうかがえる注である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、60頁(コマ34)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、54頁(コマ33)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日