万葉集 巻第二 130番
丹生の河
丹生の川の瀬は渡らないまま、なかなか会えずに恋しく思う弟よ、さあ通っておいで。長皇子が弟の弓削皇子に贈った歌。

題詞長皇子、皇弟に与ふる御歌
現代語訳
丹生の川の瀬は渡らないまま、なかなか会えずにもどかしく、恋しく思う私の弟よ、さあ通ってきておくれ。
意訳
兄の長皇子が、同母の弟の弓削皇子に贈った歌である。丹生の川を隔てて、なかなか会えないもどかしさを歌い、「さあ、会いに来ておくれ」と呼びかける。恋の歌の言葉を用いて、兄弟の深い親愛の情を表している。
語釈・文法注
- 丹生(にふ)の河
- 吉野の丹生川とされる。
- ゆくゆくと
- ためらいながら、心が晴れずに。原文「由久遊久登」。
文法・本文
- ゆくゆくと(本文)
- 底本は、原文を元暦校本によって「由久遊久登」とする。
- 乞通ひ來ね
- 「乞(いで)」はさあ、「ね」はあつらえ望む終助詞。さあ通って来ておくれ。
和歌
- 作者
- 長皇子(?–715)
天武天皇の皇子。母は天智天皇の皇女の大江皇女。弓削皇子の同母の兄。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・相聞・130番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 長皇子が、同母の弟である弓削皇子に与えた歌。
解説
長皇子と弓削皇子は、ともに天武天皇と大江皇女の間に生まれた同母の兄弟である。この歌は恋の歌の形を借りて、弟への親しい気持ちを表している。
弓削皇子は文武天皇3年(699)に若くして亡くなった。兄弟の仲のよさを伝えるこの歌は、のちの悲しい別れを思うとき、いっそう印象深い。巻第二の相聞はこの後、柿本人麻呂の石見相聞歌へと続く。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、56頁(コマ32)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、51頁(コマ31)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日