古典ライブラリー

万葉集 巻第一 63番

いざ子ども

山上憶良(やまのうえのおくら)

さあ皆の者、早く日本へ帰ろう。大伴の御津の浜の松も、私たちを待ち焦がれているだろう。遣唐使として唐にいた山上憶良が、故郷を思って詠んだ歌。

唐の港を望む宴の席で立ち上がり、帰国を呼びかける山上憶良と遣唐使の仲間たち
唐の港を望む宴の席で立ち上がり、帰国を呼びかける山上憶良と遣唐使の仲間たち

題詞山上臣憶良、大唐に在りし時、本郷を憶ひて作れる歌

  1. 1いざいざいざ子こ子ここどもどもども去來子等
  2. 2はやくはやくはやく日本やまと日本やまとやまとへへへ早日本邊
  3. 3ののの大伴乃
  4. 4ののの濱はま濱はまはま松まつ松まつまつ御津乃濱松
  5. 5待ま待ままちちち戀こ戀ここひひいぬぬぬらむらむらん待戀奴良武

引用の仕方

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現代語訳

さあ皆の者よ、早く日本へ帰ろう。大伴の御津の浜の松も、私たちを待ち焦がれているだろう。

意訳

唐の地で、遣唐使の一行に「さあ、早く日本へ帰ろう」と呼びかける。出発した難波の御津の浜の松は「待つ」に通じ、故郷が自分たちの帰りを待っていると言いなしている。異国にあって故郷を恋う気持ちを、仲間への明るい呼びかけの形で表した歌である。

語釈・文法注

大伴(おほとも)の
「御津」にかかる。難波一帯は古く大伴氏の領地であったことから、「大伴の御津」と呼んだ。
御津(みつ)
難波の港。今の大阪市中央区あたり。遣唐使船はここから出発した。

文法・本文

いざ子ども
「子ども」は目下の者や仲間への親しい呼びかけ。さあ皆の者。
待ち戀ひぬらむ
「ぬ」は完了、「らむ」は現在推量。
原文「早日本邊」
「やまと」を「日本」と書く。国号「日本」が定まった時期の用例として注目される。

和歌

作者
山上憶良(660–733?)
大宝2年(702)の遣唐使に少録として加わり、唐に渡った。のち伯耆守・筑前守となり、大宰帥の大伴旅人と親しく交わった。人生や社会を見つめた歌を多く残した。
出典
『万葉集』巻第一・雑歌・63番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
大宝2年(702)の遣唐使に加わった山上憶良が、唐にいたとき、故郷を思って詠んだ歌。帰国のときの宴などで詠まれたとみられる。

修辞

掛詞
「濱松」の「松」に「待つ」を響かせる。

解説

山上憶良は、四十代で遣唐使の少録(書記官)に選ばれ、唐に渡った。唐で学んだ儒教や仏教の知識は、のちの憶良の歌に大きな影響を与えた。この歌は、憶良が唐で詠んだ唯一の歌である。

原文で「やまと」を「日本」と表記しているのは、唐に対して「日本」の国号を名のった、この時期の遣唐使ならではの書き方とされる。故郷の松が待っているという親しみやすい言いなしに、望郷の思いと、仲間を励ます気持ちがこもっている。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、32頁(コマ20)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、25頁(コマ18)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日