古典ライブラリー

万葉集 巻第一 34番

白浪の

川島皇子(かわしまのみこ)

白波の寄せる浜の松の枝に結ばれた手向けの品は、どれほどの年月を経たのだろう。紀伊の浜の松を見て、遠い昔に思いをはせる歌。

白波の寄せる紀伊の浜で、松の枝に結ばれた色あせた布を見つめる川島皇子
白波の寄せる紀伊の浜で、松の枝に結ばれた色あせた布を見つめる川島皇子

題詞紀伊國に幸せる時、川島皇子の御作歌 或はいふ、山上臣憶良の作

  1. 1白しら白しらしら浪なみ浪なみなみののの白浪乃
  2. 2濱はま濱はまはま松まつ松まつまつががが枝え枝ええののの濱松之枝乃
  3. 3手た手たた向むけ向むけむけ手向草
  4. 4幾いく幾いくいく代よ代よよまでまでまでにににかかか幾代左右二賀
  5. 5年とし年としとしののの經へ經へへぬぬぬらむらむらん年乃經去良武

引用の仕方

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現代語訳

白波の寄せる浜の松の枝に結ばれた手向けの品は、どれほどの代を重ねて、年を経てきたのだろう。

意訳

紀伊の浜で、松の枝に結ばれた古い手向けの品を見つける。旅人が道中の無事を神に祈って結んだものであろう。いつ、誰が結んだのか。長い年月を思わせるその姿に、この地を通った多くの旅人と、過ぎ去った時の流れに思いをはせる。磐代で松を結んで処刑された有間皇子のことを、ひそかに思い起こしているとみる説もある。

語釈・文法注

手向草(たむけぐさ)
神に手向ける品物。旅の無事を祈って、木の枝などに布や糸を結んで供えた。

文法・本文

原文「幾代左右二賀」
「まで」を「左右(まで)」と書く。両手(左右の手)を「まて」と言ったことによる義訓。
年の經ぬらむ
「らむ」は現在推量。年を経たのだろうか。上の「か」と呼応して連体形で結ぶ。
左注
『日本書紀』を引いて、朱鳥4年(持統天皇4年=690年)9月に天皇が紀伊国に行幸したことを記す。

和歌

作者
川島皇子(657–691)
天智天皇の皇子。天武天皇の時代に『日本書紀』の編纂に携わった。大津皇子と親しかったが、その謀反を密告したと伝えられる。題詞の注には、山上憶良の作とする伝えも記されている。
出典
『万葉集』巻第一・雑歌・34番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
持統天皇4年(690)9月、持統天皇の紀伊行幸に従った川島皇子が詠んだ歌。山上憶良の作とする伝えもある。巻第九・1716番にも、山上憶良の歌としてほぼ同じ歌が載る。

解説

紀伊への道は、かつて有間皇子が護送され、磐代の浜で松の枝を結んで無事を祈った道でもある。この歌の「濱松が枝の手向草」には、その有間皇子の結び松の伝説が重ねられているとする見方がある。川島皇子自身も、親友であった大津皇子の謀反を密告したと伝えられ、皇族どうしの争いの悲劇を身近に知る人物であった。

原文で「まで」を「左右」と書く表記は、両手を「まて」と呼んだことにもとづく義訓で、万葉集の漢字の使い方の巧みさを示す例としてよく知られている。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、26頁(コマ17)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、18頁(コマ15)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日