万葉集 巻第一 35番
これやこの
これがあの、大和にいたときから私が恋しく思っていた、紀伊への道にあるという、「背の山」という名をもつ勢の山なのか。

題詞勢の山を越ゆる時、阿閉皇女の御作歌
現代語訳
これがあの、大和にいたときから私が恋しく思っていた、紀伊の道にあるという、「背(夫)」という名をもつ勢の山なのだ。
意訳
「背(せ)」は女性が夫を呼ぶ言葉である。夫の草壁皇子を亡くした阿閉皇女は、紀伊への旅で「勢(背)の山」を越える。大和にいたときから、その名を聞くたびに亡き夫を思っていた山に、いまこうして来たという深い感慨がこめられている。地名に夫への思いを重ねた、しみじみとした歌である。
語釈・文法注
- 紀路(きぢ)
- 紀伊国へ向かう道。
- 勢(せ)の山
- 背の山。紀伊国の山で、今の和歌山県かつらぎ町にある。紀の川をはさんで妹(いも)の山と向かい合うとされ、「背(夫)」の名から多くの歌に詠まれた。
文法・本文
- これやこの
- 「これがあの(有名な)…か」と、話に聞いていたものを目の前にした感動を表す。
- 大和にしては
- 「にして」は場所を表す。大和にいて(は)。
- ありとふ
- 「とふ」は「といふ」がつまった形。あるという。
和歌
- 作者
- 阿閉皇女(661–721)
天智天皇の皇女で、草壁皇子の妃。文武天皇・元正天皇の母。のちに即位して元明天皇となり(在位707–715)、平城京に都を移した。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・35番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 持統天皇4年(690)9月の紀伊行幸に従った阿閉皇女が、勢の山を越えるときに詠んだ歌とみられる。夫の草壁皇子は前年の持統天皇3年(689)に亡くなっていた。
修辞
- 掛詞
- 山の名「勢(せ)」に、夫を意味する「背(せ)」を掛ける。
解説
作者の阿閉皇女は、持統天皇の子である草壁皇子の妃で、のちに元明天皇として即位し、平城京遷都を行った女帝である。草壁皇子は皇太子のまま28歳で亡くなり、皇女は幼い子どもたち(のちの文武天皇・元正天皇)とともに残された。
「勢の山」は、名前に「背(夫)」を含むことから、夫を思う歌に好んで詠まれた山である。夫を亡くした翌年の旅でこの山を越えた皇女にとって、その名は特別な響きをもっていたであろう。「これやこの」という感動の言葉に、言い尽くせない思いがあふれている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、26頁(コマ17)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、18頁(コマ15)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日