万葉集 巻第一 13〜15番
香具山は
香具山は畝傍山をいとしく思って、耳成山と争った。神代からそうなのだから、今の世の人も妻を争うらしい。大和三山の妻争いの伝説を詠んだ、中大兄皇子の長歌と反歌。

題詞中大兄(近江宮御宇天皇)の三山の歌一首
- 1香香か具具ぐ山山やまはははををを愛愛をととと高山波 雲根火雄男志等長歌
- 2ととと相相あい爭爭あらそひひいききき耳梨與 相諍競伎
- 3神神かみ代代よよりよりより斯斯かくくくなるなるなるらしらしらし神代從 如此爾有良之
- 4古昔古昔いにしえももも然然しかなれなれなれこそこそこそ古昔母 然爾有許曾
- 5現現うつももも嬬嬬つまををを爭爭あらそふふうらしきらしきらしき虛蟬毛 嬬乎 相格良思吉
- 6香香か具具ぐ山山やまととと高山與反歌
- 7耳梨耳梨みみなし山山やまととと耳梨山與
- 8會會あひひいししし時時とき相之時
- 9立立たちちちててて見見みににに來來こししし立見爾來之
- 10印南印南いなみ國國くに伊奈美國波良
- 11ののの渡津海乃
- 12豐豐とよ旗旗はたににに豐旗雲爾
- 13入入いり日日ひさしさしさし伊理比沙之
- 14今夜今夜こよいののの月月つく夜夜よ今夜乃月夜
- 15清清きよくくく明明あかりりりこそこそこそ清明己曾
現代語訳
香具山は、畝傍山をいとしいと思って、耳成山と争った。神代からこのようであるらしい。昔もそうだったからこそ、今の世の人も妻を争うらしい。
〔反歌〕香具山と耳成山とが争ったとき、立ち上がって見に来たという印南国原よ。
〔反歌〕大海原の上にたなびく旗のような雲に夕日がさして、今夜の月はきっと清らかに明るいことだろう。
意訳
大和の三つの山には、男山と女山が恋をめぐって争ったという伝説があった。中大兄皇子は、山々でさえ神代から妻を争ったのだから、人の世で妻を争うのも当然だと歌う。皇子と弟の大海人皇子が額田王をめぐって争ったという話と結びつけて読まれることもある。反歌の二首目は、播磨の海で見た夕焼け雲の雄大な景色を詠んだもので、三山の歌との関係ははっきりしないが、万葉集屈指の叙景の歌として名高い。
語釈・文法注
- 畝火(うねび)
- 畝傍山。奈良県橿原市にある大和三山の一つ。
- 愛し(をし)
- いとしい、手放したくない。原文「雄男志」。香具山・畝傍山・耳成山のどれを男山・女山とみるかで解釈が分かれる。
- 耳梨(みみなし)
- 耳成山。奈良県橿原市にある大和三山の一つ。
- 現身(うつせみ)
- この世に生きている人、現実の人間。
- 印南國原(いなみくにはら)
- 播磨国印南郡(兵庫県加古川市・高砂市あたり)の平野。『播磨国風土記』に、三山の争いを仲裁しようとした出雲の阿菩大神がここまで来て、争いが止んだと聞いてとどまったという伝説がある。
- 渡津海(わたつみ)
- 海の神。転じて海、大海原。
- 豐旗雲(とよはたぐも)
- 旗がなびくように横に長くたなびく、豊かで美しい雲。
文法・本文
- 原文「高山」
- 「香具山」を「高山」と書く。義訓とも、誤字ともいわれる。
- 然なれこそ
- 已然形「なれ」に「こそ」が付いて、「そうであるからこそ」の意を表す古い語法。
- 清く明りこそ(本文)
- 原文「清明己曾」の訓みには、「さやけくありこそ」「あきらけくこそ」などの説がある。底本は「清く明りこそ」と訓む。「こそ」は願望の終助詞ともみられる。
- 左注
- 15番について「今案ずるに反歌に似ず」とし、旧本が反歌として載せているのでそのまま載せた、と記す。
和歌
- 作者
- 中大兄皇子(626–671)
舒明天皇の皇子。645年に中臣鎌足とともに蘇我入鹿を討ち(乙巳の変)、大化の改新を進めた。のち近江大津宮で即位して天智天皇となった。百人一首の第1首の作者でもある。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・13〜15番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第1期(629〜672年(舒明天皇の即位〜壬申の乱))
- 状況
- 中大兄皇子(のちの天智天皇)が、大和三山の妻争いの伝説を詠んだ長歌と反歌。反歌の内容から、播磨の印南を通ったときの作とみられる。斉明天皇7年(661)の西征の途中とする説がある。
修辞
- 擬人
- 三つの山を、恋を争う男女に見立てる。
- 伝説の引用
- 『播磨国風土記』に伝わる三山の争いと阿菩大神の話をふまえる。
解説
大和三山の妻争いの伝説は、『播磨国風土記』にも記されている。それによれば、三山が争ったとき、出雲の阿菩大神が仲裁に向かい、播磨の印南まで来たところで争いが止んだと聞き、そこにとどまったという。反歌の一首目は、この伝説をふまえて印南国原を詠んでいる。
香具山・畝傍山・耳成山のどれが男でどれが女かについては、原文「雄男志」の訓み方とも関わって諸説がある。中大兄皇子と大海人皇子が額田王を争ったという話と重ねて読むのは後世の想像とされるが、山々の恋の争いを人の世になぞらえる発想は、この歌の大きな魅力である。反歌の二首目「渡津海の豐旗雲に」は、雄大な海の夕景を描いた歌として、のちの時代にも高く評価された。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、21頁(コマ14)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、13頁(コマ12)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日