万葉集 巻第一 10〜12番
君が代も
磐代の岡の草を結んで命の長さを祈り、仮小屋の屋根の草を気づかい、見たかった野島を見た喜びと、阿胡根の浦の珠を拾えない心残りを歌う、紀伊への旅の三首。

題詞中皇命、紀伊の溫泉に往ませる時の御歌
現代語訳
〔10〕あなたの命も私の命も知っている、磐代の岡の草を、さあ結びましょう。
〔11〕あなたが仮小屋をお作りになる、その草がないのなら、小松の下の草をお刈りなさい。
〔12〕私が見たいと思っていた野島は見せてくださった。けれども、底深い阿胡根の浦の珠は、まだ拾っていない。
意訳
紀伊への旅の三首である。磐代の岡では、草を結んで旅の無事と長寿を祈る。そこは有間皇子が松の枝を結んだ所でもあり、旅人が命を祈る場所であった。仮小屋を作る供の者には、屋根の草なら小松の下にあると親しげに声をかけ、旅の楽しさがにじむ。三首目では、念願の野島を見た満足と、海の底の美しい珠を拾えない小さな心残りを、甘えるような調子で歌っている。
語釈・文法注
- 知れや
- 「知れ」は已然形、「や」は詠嘆・反語の係助詞。知っているからか、知っているだろう、などの解釈がある。
- 磐代(いはしろ)
- 紀伊国の地名。今の和歌山県日高郡みなべ町岩代。旅人が草や枝を結んで無事を祈った所。
- 結びてな
- 「て」は完了「つ」の未然形、「な」は意志・勧誘の終助詞。さあ結んでしまおう。
- 假廬(かりほ)
- 仮小屋。「かりいほ」がつまった形。
- 野島(ぬじま)
- 紀伊国の地名。今の和歌山県御坊市名田町野島。
- 阿胡根(あこね)の浦
- 紀伊国の海岸。所在には諸説がある。
文法・本文
- 草を苅らさね
- 「苅らす」は「苅る」の尊敬語、「ね」は相手にあつらえ望む終助詞。お刈りなさい。
- 珠ぞ拾はぬ(本文)
- 底本は、原文を元暦校本によって「不拾」とする。
- 或頭云
- 12番には「或は頭に云ふ、わが欲りし子島は見しを」という別伝が注記されている。
- 作者(左注)
- 左注は山上憶良の『類聚歌林』を引き、天皇の御製の歌であるという伝えを記している。
和歌
- 作者
- 中皇命(7世紀)
誰を指すかは諸説ある。舒明天皇の皇女で孝徳天皇の皇后となった間人皇女とする説、斉明天皇とする説などがある。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・10〜12番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第1期(629〜672年(舒明天皇の即位〜壬申の乱))
- 状況
- 中皇命が紀伊の温泉へ向かったときの三首。斉明天皇4年(658)の紀伊行幸のときの歌とみられる。
修辞
- 草結び
- 草や木の枝を結ぶのは、命の無事や旅の安全、再会を祈るまじないであった。
解説
中皇命の紀伊への旅の歌三首である。一首目では磐代の岡で草を結び、二首目では仮小屋を作る供の者に声をかけ、三首目では念願の野島を見た喜びを歌う。旅の途中の出来事を順に追い、明るく親しみやすい調子でまとめている。
磐代は、この旅と同じ年に有間皇子が護送され、松の枝を結んで無事を祈った場所である(141番)。旅人が草や木の枝を結んで命を祈る習わしがあったことを、この歌からも知ることができる。左注には天皇の御製とする伝えも記されており、作者については斉明天皇とみる説もある。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、20頁(コマ14)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、12頁(コマ12)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日