百人一首 第1首
秋の田の
稲を守る仮小屋で、夜露に袖を濡らしながら秋の夜を明かす。農民の苦労を思いやった天皇の歌として、百人一首の最初に置かれた一首。

現代語訳
秋の田のほとりに建てた仮小屋は、屋根を葺いた苫の編み目が粗いので、番をして夜を過ごす私の袖は、夜露にしきりに濡れていくばかりだ。
意訳
当時の農民の、苦しい暮らしを詠んだ歌である。実りの秋には、稲を獣や鳥から守るため、粗末な小屋で夜通し番をしなければならなかった。天智天皇は、そうした農民の暮らしにまで思いを馳せる、慈しみ深い天皇であったと語り継がれてきた。
しかし、この時代であっても、天皇が田の仮小屋で一人夜を明かしていたとは考えにくい。もとは農民の間で詠まれた歌が天智天皇の作として伝えられたのは、民の苦労を思いやる理想的な天皇の姿を印象づけたいという意図があったからだと思われる。
語釈・文法注
- かりほ
- 「仮庵(かりいほ)」が縮まった語。稲の刈り入れや番のために、田のほとりに建てる仮小屋。「刈り穂」を掛けるとする説もある。
- 庵(いほ)
- 草木で作った粗末な小屋。「かりほの庵」は、同じ意味の語を重ねて調子を整えた表現。
- 苫(とま)
- 菅(すげ)や茅(かや)を編んだむしろ。小屋の屋根や周りを覆うのに使う。
- あらみ
- 形容詞「粗(あら)し」の語幹に接尾語「み」が付いた形。「AをBみ」で「AがBなので」という原因・理由を表す。
- 衣手(ころもで)
- 袖のこと。和歌でよく使われる言葉(歌語)。
- 露
- 夜露。和歌では涙をほのめかすことが多い。
- つゝ
- 接続助詞「つつ」。動作の反復・継続を表し、「〜し続けている」の意。歌の終わりに置くと余韻が残る(つつ止め)。
文法
- ミ語法(苫をあらみ)
- 「名詞+を+形容詞の語幹+み」の形で「〜が…なので」と理由を表す。上代から平安初期の和歌に多い。例:「瀬をはやみ」(第77首)。
- つつ止め(ぬれつゝ)
- 歌を接続助詞「つつ」で終え、言い切らずに余韻を残す技法。「〜し続けていることよ」と詠嘆を含む。
和歌
- 詠者
- 天智天皇(626–671)
舒明天皇の皇子で、即位前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれた。645年、中臣鎌足とともに蘇我入鹿を討ち(乙巳の変)、大化の改新を進めた。668年、近江大津宮で即位。 - 出典
- 『後撰和歌集』巻六・秋中・302(国歌大観番号)
- 状況
- 『後撰和歌集』には「題しらず」として収める。詠まれた事情は伝わっていない。
修辞
- ミ語法
- 「苫をあらみ」。苫の目が粗いので、という理由を示す。
- 掛詞(説)
- 「かりほ」に「仮庵」と「刈り穂」を掛けるとする説がある。
- つつ止め
- 「ぬれつゝ」と言い切らずに結び、夜通し濡れ続ける情景に余韻を残す。
解説
この歌のもとになったのは、『万葉集』巻十・2174番の作者未詳歌「秋田刈る仮廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける」と考えられている。田の番をする人の実感を詠んだ民謡風の歌が、語り継がれるうちに形を整えられ、天智天皇の作として伝わったと見られる。
平安時代以降、この歌は天皇が農民の苦労を思いやって詠んだ歌として受け取られた。江戸時代の『百人一首一夕話』も、天皇が自らの身を低くし、民になりかわって詠んだ歌だと説いている。
藤原定家は、百人一首の第1首に天智天皇、第2首にその娘の持統天皇を置いた。最後の第99首・第100首が後鳥羽院・順徳院の父子であることと対応しており、天皇の歌で始まり天皇の歌で終わる配列になっている。
関連
出典
- 底本
- 尾崎雅嘉『百人一首一夕話』 天保4年(1833)刊、巻1。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校合
- 古谷知新編『日本歴史図会』第12輯(百人一首一夕話) 国民図書、大正9–10年。国立国会図書館デジタルコレクション松下大三郎・渡辺文雄編『国歌大観』歌集部 明治34–36年
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日