万葉集 巻第一 9番
莫囂圓隣之
初めの二句の訓みがいまだに定まらない、万葉集最大の難訓歌。後半は「わが背子がい立たしけむ嚴橿が本」と、いとしい人が立っていた神聖な樫の木のもとを思う。

題詞紀の溫泉に幸せる時、額田王の作れる歌
現代語訳
(初めの二句は訓みが定まらない)わが君がお立ちになっていたという、神聖な樫の木のもとよ。
意訳
後半の三句は、いとしい人がかつて立っていた神聖な樫の木の根もとを思いやる内容で、紀伊の温泉へ向かう旅の途中、ゆかりの地を通ったときの感慨とみられる。初めの二句については、「静まりし浦波さわく」「夕月の仰ぎて問ひし」「三諸の山見つつゆけ」など、江戸時代から数十もの訓みが提案されてきたが、いまも定説はない。
語釈・文法注
- 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣
- 万葉集で最も有名な難訓の句。十二字を二句とみるのが普通だが、どこで切れるかも含めて諸説がある。「莫囂(かまびすしきことなかれ)」を「静まる」と訓むなど、義訓をふくむ表記と考えられている。
- 背子(せこ)
- 女性が夫や恋人など親しい男性を呼ぶ語。ここでは大海人皇子や中大兄皇子を指すとする説がある。
- 嚴橿(いつかし)
- 神聖な樫の木。「嚴(いつ)」は神聖な、おごそかな意。
文法・本文
- い立たしけむ
- 「い」は接頭語、「立たす」は「立つ」の尊敬語、「けむ」は過去の伝聞・推量。お立ちになったという。
- 原文「五可新何本」
- 「嚴橿が本」を「五(い)可(か)新(し)何(が)本(もと)」と書く。「いつかし」の「つ」にあたる字がない点も議論されている。
和歌
- 作者
- 額田王(生没年未詳(7世紀後半))
鏡王の娘とされる。はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に仕えて十市皇女を産み、のち天智天皇の宮廷で活躍した。第1期を代表する歌人。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・9番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第1期(629〜672年(舒明天皇の即位〜壬申の乱))
- 状況
- 斉明天皇が紀伊の温泉(和歌山県白浜町の湯崎温泉)に行幸したとき、額田王が詠んだ歌。斉明天皇4年(658)の行幸とみられる。
解説
この歌は、万葉集の中で最も訓みの難しい歌として知られる。冒頭の「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」の十二字は、江戸時代の契沖や賀茂真淵以来、多くの学者が解読を試み、数十種類もの訓みが提案されてきた。しかし、どれも決め手を欠き、いまなお定訓はない。『新訓万葉集』も、この部分は原文のまま掲げている。
後半の「わが背子がい立たしけむ嚴橿が本」は比較的はっきりしており、いとしい人が立っていた神聖な樫の木を思う歌であることがわかる。斉明天皇の紀伊行幸には、中大兄皇子や大海人皇子も従っていた。同じ年には有間皇子が謀反の疑いで紀伊に送られて処刑されており、その事件とこの歌とを結びつける説もある。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、20頁(コマ14)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、12頁(コマ12)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日