古典ライブラリー

万葉集 巻第一 8番

熟田津に

額田王(ぬかたのおおきみ)

熟田津で船出の時を待つ一行。月が出て潮の流れもちょうどよくなった。さあ今こそ漕ぎ出そう、と力強く呼びかける。

月夜の熟田津の入り江で、額田王が船上に立ち、櫂で漕ぎ出す船々を見送る
月夜の熟田津の入り江で、額田王が船上に立ち、櫂で漕ぎ出す船々を見送る

題詞後岡本宮御宇天皇代(天豐財重日足姫天皇、位の後、後の岡本宮に即き給ふ) 額田王の歌

  1. 1熟にき熟にきにき田た田たたににに熟田津爾
  2. 2船ふな船ふなふな乘の乘ののせせせむむんととと船乘世武登
  3. 3月つき月つきつき待ま待ままてててばばば月待者
  4. 4もももぬぬぬ潮毛可奈比沼
  5. 5今いま今いまいまははは榜こ榜ここぎぎぎ出い出いいななな今者許藝乞菜

引用の仕方

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現代語訳

熟田津で船に乗って出発しようと月の出を待っていると、月も出て、潮の具合もちょうどよくなった。さあ、今こそ漕ぎ出そう。

意訳

斉明天皇の一行は、朝鮮半島の百済を救うため、九州へ向かう途中で伊予の熟田津に滞在していた。夜、月が昇り、潮も満ちて、船出の条件がすべて整った。その瞬間をとらえて、一行に「さあ漕ぎ出そう」と呼びかける歌である。個人の感慨ではなく、大船団の士気を高め、航海の無事を祈る、公の場の歌として詠まれている。

語釈・文法注

熟田津(にきたつ)
伊予国(愛媛県)の港。松山市の道後温泉に近い海岸にあったとされるが、正確な場所はわかっていない。
船乘り
船に乗って出発すること。船出。
潮(しほ)
海の水の満ち引き。船出には潮の流れが重要であった。
かなひぬ
「かなふ」はちょうど都合よくなる意。「ぬ」は完了の助動詞。潮の具合も船出にちょうどよくなった。
榜ぎ出でな
「榜ぐ」は船を漕ぐ。「な」は自分の意志や、相手を誘う気持ちを表す終助詞。さあ漕ぎ出そう。

文法・本文

月待てば
已然形+「ば」で、「…すると」の意。月の出を待っていたところ、という時の経過を表す。
作者(左注)
歌の後の左注は、山上憶良の『類聚歌林』を引いて、斉明天皇が熟田津の石湯の行宮に泊まったときの天皇の御製であるとし、「額田王の歌は別に四首あり」と記す。額田王が天皇に代わって詠んだとする説、天皇の作とする説がある。

和歌

作者
額田王(生没年未詳(7世紀後半))
鏡王の娘とされる。はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に仕えて十市皇女を産み、のち天智天皇の宮廷で活躍した。天皇に代わって歌を詠むこともあった、第1期を代表する歌人。
出典
『万葉集』巻第一・雑歌・8番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第1期(629〜672年(舒明天皇の即位〜壬申の乱))
状況
斉明天皇7年(661)正月、百済救援のために九州へ向かう斉明天皇の船団が、伊予の熟田津の石湯行宮に滞在したときの歌。いよいよ船出する夜に詠まれた。

修辞

勧誘の結び
「今は榜ぎ出でな」と、呼びかけの言葉で強く結び、船出の決意と高揚感を表す。
時の推移
「月待てば」から「潮もかなひぬ」「今は」へと、待つ時間から行動の瞬間へ一気に転じる構成。

解説

660年、朝鮮半島の百済が唐と新羅に滅ぼされると、斉明天皇は百済復興を助けるため、自ら九州へ向かった。翌年正月、船団は伊予の熟田津に立ち寄り、しばらく滞在した。この歌は、その熟田津からの船出の場面を詠んでいる。斉明天皇は、この遠征の途中、筑紫の朝倉宮で亡くなり、663年には白村江の戦いで倭の軍は大敗することになる。

月の出と満ち潮が重なり、船出の条件が整った一瞬を、「今は榜ぎ出でな」の一句で力強く言い切る。五句すべてが前へ前へと進むような調子で、万葉集の中でも特に雄大な歌として親しまれてきた。左注によれば天皇の御製とも伝わり、額田王が天皇の立場に立って詠んだ、いわば代作の歌であったと考えられている。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、20頁(コマ14)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、12頁(コマ12)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日