古今和歌集 序
真名序(二)
人麿・赤人をたたえ、近代の六人の歌人を評する。醍醐天皇の勅命で撰者四人が歌を集め、古今和歌集が成ったことを述べる。

- 1然然しかれどもれどもれども猶猶なほほお先師先師せんし柿本大夫柿本大夫かきのもとのたいふといふといふという者者もの有有ありりり。。。高高たかくくく神妙神妙しんみょうののの思思おもいををを振振ふるひひい、、、古今古今ここんののの間間あいだににに獨步獨步どっぽすすす。。。山邊赤人山邊赤人やまべのあかひとといふといふという者者もの有有ありりり。。。竝竝ならびにびにびに倭歌倭歌やまとうたののの仙仙せんなりなりなり。。。其其そののの餘餘ほか、、、倭歌倭歌やまとうたををを業業わざとするとするとする者者もの、、、綿々綿々めんめんとしてとしてとして絕絕たえずえずえず。。。然猶有先師柿本大夫者。高振神妙之思獨步古今之間。有山邊赤人者。竝倭歌仙也。其餘業倭歌者綿々不絕。
- 2彼彼かののの時澆漓時澆漓ときぎょうりににに變變へんじじじ、、、人奢淫人奢淫ひとしゃいんををを貴貴とうとぶにぶにぶに及及およびてびてびて、、、浮詞浮詞ふし雲雲くものごとくのごとくのごとく興興おこりりり、、、艶流艶流えんりゅう泉泉いずみのごとくのごとくのごとく涌涌わくくく。。。其其そののの實皆實皆みみな落落おちてちてちて、、、其其そののの花花はな孤孤ひとりりり榮榮さかゆゆゆ。。。好色好色こうしょくののの家家いえにににははは此此これををを以以もっててて花鳥花鳥かちょうののの使使つかいととと爲爲なししし、、、乞食乞食こつじきののの客客かくははは此此これををを以以もっててて活計活計かっけいののの媒媒なかだちととと爲爲なすことすことすこと有有あるにるにるに至至いたるるる。。。故故ゆえににに半半なかばばばははは婦人婦人ふじんののの右右みぎととと爲爲なりてりてりて、、、丈夫丈夫じょうぶののの前前まえににに進進すすめめめ難難かたししし。。。及彼時變澆漓人貴奢淫。浮詞雲興艶流泉涌。其實皆落其花孤榮。至有好色之家以此爲花鳥之使。乞食之客以此爲活計之媒。故半爲婦人之右。難進丈夫之前。
- 3近代近代きんだい、、、古風古風こふうををを存存ぞんするするする者者もの、、、纔纔わずかにかにかに二三人二三人にさんにんのみのみのみ。。。然然しかれどもれどもれども長短長短ちょうたん同同おなじからずじからずじからず、、、論論ろんじてじてじて以以もっててて辨辨わきまふべしふべしうべし。。。近代存古風者纔二三人而已。然長短不同論以可辨。
- 4花山僧正花山僧正かざんのそうじょうははは尤尤もっとももも歌歌うたののの體體ていををを得得えたりたりたり。。。然然しかれどもれどもれども其其そののの詞詞ことば花花はなにしてにしてにして實實じつ少少すくなししし。。。圖畫圖畫とがののの好女好女こうじょののの徒徒いたずらににに人人ひとののの情情じょうををを動動うごかすがかすがかすが如如ごとししし。。。花山僧正尤得歌體。然其詞花而少實。如圖畫好女徒動人情。
- 5在原中將在原中將ありわらのちゅうじょうののの歌歌うたははは、、、其其そののの情情じょう餘餘あまりりり有有ありてりてりて、、、其其そののの詞詞ことば足足たらずらずらず。。。萎萎しぼめるめるめる花花はなののの彩色彩色さいしき少少すくなしとしとしと雖雖いえどももも、、、薰香薰香くんこう有有あるがるがるが如如ごとししし。。。在原中將之歌。其情有餘其詞不足。如萎花雖少彩色而有薰香。
- 6文琳文琳ぶんりんははは巧巧たくみにみにみに物物ものををを詠詠えいずずず。。。然然しかれどもれどもれども其其そののの體體てい俗俗ぞくににに近近ちかししし。。。賈人賈人こじんののの鮮鮮あざやかなるかなるかなる衣衣きぬををを著著きたるがたるがたるが如如ごとししし。。。文琳巧詠物然其體近俗。如賈人之著鮮衣。
- 7宇治山宇治山うじやまののの僧僧そう喜撰喜撰きせんははは、、、其其そののの詞詞ことば華麗華麗かれいにしてにしてにして、、、首尾首尾しゅび停滯停滯ていたいすすす。。。秋秋あきののの月月つきををを望望のぞむにむにむに曉曉あかつきののの雲雲くもににに遇遇あへるがへるがえるが如如ごとししし。。。宇治山僧喜撰。其詞華麗而首尾停滯。如望秋月遇曉雲。
- 8小野小町小野小町おののこまちののの歌歌うたははは、、、古古いにしえののの衣通姬衣通姬そとおりひめののの流流ながれなりなりなり。。。然然しかれどもれどもれども艶艶えんにしてにしてにして氣力氣力きりょく無無なししし。。。病病やめるめるめる婦婦おんなののの花粉花粉かふんををを著著つけたるがけたるがけたるが如如ごとししし。。。小野小町之歌。古衣通姬之流也。然艶而無氣力。如病婦之著花粉。
- 9大友黑主大友黑主おおとものくろぬしののの歌歌うたははは、、、古古いにしえののの猿丸大夫猿丸大夫さるまるたいふののの姿姿すがたなりなりなり。。。頗頗すこぶるるる逸興逸興いっきょう有有ありてりてりて、、、體體てい甚甚はなはだだだ鄙鄙いやししし。。。田夫田夫でんぷののの花花はなののの前前まえににに息息やすめるがめるがめるが如如ごとししし。。。大友黑主之歌。古猿丸大夫之姿也。頗有逸興而體甚鄙。如田夫之息花前也。
- 10此此こののの外外ほか、、、氏姓氏姓しせい流流ながれれれ聞聞きこゆるゆるゆる者者もの、、、勝勝あげてげてげて計計かぞふべからずふべからずうべからず。。。其其そののの大底大底たいていははは皆皆みな艶艶えんををを以以もっててて基基もといととと爲爲なししし、、、歌歌うたののの趣趣おもむきををを知知しらざるらざるらざる者者ものなりなりなり。。。此外氏姓流聞者不可勝計。其大底皆以艶爲基。不知歌之趣者也。
- 11俗人俗人ぞくじん爭爭あらそひてひていて榮利榮利えいりををを事事こととしとしとし、、、倭歌倭歌やまとうたををを詠詠えいずることずることずることををを用用もちゐずゐずいず。。。悲悲かなしきかなしきかなしきかな、、、悲悲かなしきかなしきかなしきかな。。。貴貴とうときこときこときこと相將相將しょうしょうををを兼兼かねねね、、、富富とめることめることめること金錢金錢きんせんににに餘餘あまるとるとると雖雖いえどももも、、、骨骨ほね未未いまだだだ土中土中どちゅうににに腐腐くちざるにちざるにちざるに、、、名名な先先まづづず世上世上せじょうににに滅滅きえぬえぬえぬ。。。適適たまたま後世後世こうせいににに知知しらるるらるるらるる者者ものははは、、、唯唯ただ倭歌倭歌やまとうたののの人人ひとのみのみのみ。。。何何なんとなればとなればとなれば、、、語語ご人人ひとののの耳耳みみににに近近ちかくくく、、、義義ぎ神明神明しんめいににに慣慣なればなりればなりればなり。。。俗人爭事榮利不用詠倭歌。悲哉悲哉。雖貴兼相將富餘金錢。而骨未腐於土中名先滅於世上。適爲後世被知者唯倭歌之人而已。何者語近人耳義慣神明也。
- 12昔昔むかし、、、平城天子平城天子へいぜいてんし、、、侍臣侍臣じしんににに詔詔みことのりしてしてして萬葉集萬葉集まんようしゅうををを撰撰えらばしむばしむばしむ。。。爾爾これよりよりより以來以來このかた、、、時時ときははは十代十代じゅうだいををを歷歷へ、、、數數かずははは百年百年ももとせををを過過すぐぐぐ。。。其其そののの後後のち、、、倭歌倭歌やまとうた棄棄すてててててて採用採用さいようせられずせられずせられず。。。風流風流ふうりゅう野宰相野宰相やさいしょうののの如如ごとくくく、、、雅情雅情がじょう在納言在納言ざいなごんののの如如ごとしとしとしと雖雖いえどももも、、、皆皆みな他他たののの才才さいををを以以もっててて聞聞きこえてえてえて、、、斯斯こののの道道みちををを以以もっててて顯顯あらわれずれずれず。。。昔平城天子詔侍臣令撰萬葉集。自爾以來時歷十代。數過百年。其後倭歌棄不被採用。雖風流如野宰相雅情如在納言。而皆以他才聞。不以斯道顯。
- 13伏伏ふしてしてして惟惟おもんみるにみるにみるに、、、陛下陛下へいかののの御宇御宇ぎよう今今いまににに九載九載きゅうさい。。。仁仁じんははは秋津洲秋津洲あきつしまののの外外ほかににに流流ながれれれ、、、惠惠めぐみははは筑波山筑波山つくばやまののの陰陰かげよりもよりもよりも茂茂しげししし。。。淵淵ふち變變へんじてじてじて瀨瀨せととと爲爲なるのるのるの聲聲こえ、、、寂々寂々せきせきとしてとしてとして口口くちををを閉閉とぢぢじ、、、砂砂いさご長長ちょうじてじてじて巖巖いわおととと爲爲なるのるのるの頌頌しょう、、、洋々洋々ようようとしてとしてとして耳耳みみににに滿滿みつつつ。。。既既すでににに絕絕たえたるえたるえたる風風ふうををを繼繼つがむことがむことがむことををを思思おもひひい、、、久久ひさしくしくしく廢廢すたれたるれたるれたる道道みちををを興興おこさむとさむとさむと欲欲ほつすすす。。。伏惟陛下御宇于今九載。仁流秋津洲之外。惠茂筑波山之陰。淵變爲瀨之聲寂々閉口。砂長爲巖之頌洋々滿耳。思繼既絕之風。欲興久廢之道。
- 14爰爰ここににに大内記大内記だいないき紀友則紀友則きのとものり・・・御書所預御書所預ごしょどころのあずかり紀貫之紀貫之きのつらゆき・・・前甲斐前甲斐さきのかい少目少目しょうさかん凡河内躬恒凡河内躬恒おおしこうちのみつね・・・右衞門府生右衞門府生うえもんのふしょう壬生忠岑壬生忠岑みぶのただみね等等らににに詔詔みことのりしてしてして、、、各各おのおの家集家集かしゅう幷幷ならびにびにびに古來古來こらいののの舊歌舊歌きゅうかををを獻獻たてまつらしめらしめらしめ、、、續萬葉集續萬葉集しょくまんようしゅうととと曰曰いふふう。。。是是ここににに於於おいててて重重かさねてねてねて詔詔みことのり有有ありてりてりて、、、奉奉たてまつるるる所所ところののの歌歌うたををを部類部類ぶるいしてしてして、、、勒勒ろくしてしてして二十卷二十卷にじっかんととと爲爲なししし、、、名名なづけてづけてずけて古今倭歌集古今倭歌集こきんわかしゅうととと曰曰いふふう。。。爰詔大内記紀友則御書所預紀貫之前甲斐少目凡河内躬恒右衞門府生壬生忠岑等。各獻家集幷古來舊歌曰續萬葉集。於是重有詔部類所奉之歌勒爲二十卷。名曰古今倭歌集。
- 15臣等臣等しんら、、、詞詞ことばははは春花春花しゅんかののの艶艶えん少少すくなくなくなく、、、名名なははは秋夜秋夜しゅうやののの長長ながきききををを竊竊ぬすむむむ。。。況況いわむやむやんや進進すすみてみてみてははは時俗時俗じぞくののの嘲嘲あざけりををを恐恐おそれれれ、、、退退しりぞきてきてきてははは才藝才藝さいげいののの拙拙つたなきききををを慙慙はづづず。。。適適たまたま倭歌倭歌やまとうたののの中興中興ちゅうこうににに遇遇あひてひていて、、、以以もっててて吾吾わががが道道みちののの再再ふたたびびび昌昌さかんなるんなるんなるををを樂樂たのしむしむしむ。。。嗟呼嗟呼ああ、、、人麿人麿ひとまろ既既すでににに歿歿ぼつしたれどもしたれどもしたれども、、、倭歌倭歌やまとうた斯斯ここににに在在あらずやらずやらずや。。。臣等詞少春花之艶。名竊秋夜之長。況乎進恐時俗之嘲。退慙才藝之拙。適遇倭歌之中興。以樂吾道之再昌。嗟呼人麿既歿。倭歌不在斯哉。
- 16時時ときににに延喜延喜えんぎ五年五年ごねん歲次歲次さいじ乙丑乙丑いっちゅう四月四月しがつ十八日十八日じゅうはちにち、、、臣臣しん貫之貫之つらゆき等等ら謹謹つつしみてみてみて序序じょすすす。。。于時延喜五年歲次乙丑四月十八日。臣貫之等謹序。
現代語訳
それでもなお、先師の柿本大夫(人麿)という人がいた。神のようにすぐれた詩想を高く振るい、古今の間にただ一人抜きん出ていた。山部赤人という人がいた。ともに和歌の仙である。そのほか和歌を専らとする者は、綿々と絶えなかった。
やがて時代が軽薄になり、人々が奢りと淫らさを尊ぶようになると、浮ついた言葉が雲のようにわき起こり、艶っぽい流れが泉のようにわき出た。その実はみな落ちて、その花だけがひとり栄えている。好色の家ではこれを恋の使いとし、生活に困った者はこれを暮らしの手段とするに至った。それゆえ歌は半ば婦人の慰みものとなり、立派な男子の前には出しにくいものとなった。
近代で古風を保っている者は、わずかに二、三人だけである。しかし長所と短所は同じではないので、論じて見分けるべきである。
花山僧正(遍昭)はもっとも歌の体を得ている。しかしその言葉は華やかで実が少ない。絵にかいた美女がむなしく人の心を動かすようなものである。
在原中将(業平)の歌は、その情は余りあって、その言葉は足りない。しぼんだ花が色つやは乏しいけれども、よい香りがあるようなものである。
文琳(文屋康秀)は巧みに物を詠むが、その歌体は俗に近い。商人が鮮やかな衣を着ているようなものである。
宇治山の僧喜撰は、その言葉は華麗だが、首尾がとどこおっている。秋の月を望むと、暁の雲にさえぎられるようなものである。
小野小町の歌は、昔の衣通姫の流れである。しかし艶っぽくて気力がない。病んだ女が化粧をしているようなものである。
大友黒主の歌は、昔の猿丸大夫の姿である。たいへん趣があるが、歌体はひどく卑しい。農夫が花の前で休んでいるようなものである。
このほか、家柄や名の知られた者は数えきれない。そのおおかたはみな艶を基本として、歌の本当の趣を知らない者である。
世俗の人は争って栄達や利益を求め、和歌を詠むことを用いない。悲しいことだ、悲しいことだ。身分は大臣・大将を兼ね、富は金銭に余るほどであっても、骨がまだ土の中で朽ちないうちに、名は先に世から消えてしまう。たまたま後世に知られる者は、ただ和歌の人だけである。なぜなら、その言葉は人の耳に近く、その意味は神明に通じるからである。
昔、平城天子は近臣に命じて万葉集を撰ばせた。それ以来、時は十代を経て、年数は百年を過ぎた。その後、和歌は捨てられて採り上げられなかった。風流は小野篁(野宰相)のよう、雅情は在原行平(在納言)のような人であっても、みな他の才能で知られて、この道で名を顕さなかった。
謹んで思いますに、陛下がこの国を治められて今九年。仁は秋津洲(日本)の外にまで流れ、恵みは筑波山の陰よりも茂っています。淵が変わって瀬となるような世の移ろいを嘆く声はひっそりと口を閉じ、砂が成長して巌となるような永遠をたたえる声が広々と耳に満ちています。陛下は既に絶えた風を継ごうと思い、長く廃れた道を興そうとお望みになりました。
そこで大内記紀友則、御書所預紀貫之、前甲斐少目凡河内躬恒、右衛門府生壬生忠岑らに命じて、それぞれの家集と古来の古い歌を献上させ、「続万葉集」と名づけました。そこで重ねて勅命があり、献上した歌を部類に分けて、まとめて二十巻とし、名づけて「古今和歌集」といいます。
臣らは、言葉は春の花のような艶やかさに乏しく、名ばかりは秋の夜のように長いものを盗んでいます。まして進んでは世俗の嘲りを恐れ、退いては才能の拙さを恥じます。たまたま和歌の中興の時に出会い、わが道が再び盛んになるのを楽しんでいます。ああ、人麿は既に亡くなったけれども、和歌はここにあるではないか。
時に延喜五年、歳は乙丑の年の四月十八日、臣貫之らが謹んで序を書く。
意訳
真名序の後半は、仮名序とほぼ同じ構成で、人麿と赤人を仰ぎ、和歌が恋の道具に落ちた現状を嘆き、近代の六人を比喩を用いて評する。続いて、出世や富よりも和歌によってこそ名が後世に残るという主張を述べ、醍醐天皇の勅命による撰集の経緯を記して、撰者の謙遜と和歌復興の喜びで結ぶ。「人麿既に歿したれども、倭歌斯に在らずや」は、『論語』の孔子の言葉「文王既に没す、文茲に在らずや」をふまえた結びである。
語釈・文法注
- 柿本大夫
- 柿本人麻呂。大夫は五位の人をいう。
- 澆漓
- 人情が薄くなること。
- 花鳥之使
- 恋の仲立ち。
- 花山僧正
- 僧正遍昭。花山(元慶寺)を開いた。
- 在原中將
- 在原業平。右近衛権中将であった。
- 文琳
- 文屋康秀の中国風の呼び名。
- 猿丸大夫
- 伝説的な歌人。百人一首5番の作者とされる。
- 野宰相・在納言
- 参議小野篁と中納言在原行平。
- 臣貫之等謹序
- 底本どおり。通行本では作者を紀淑望とする。
- 倭歌不在斯哉
- 『論語』子罕篇の「文王既没、文不在茲乎」をふまえる。
- 訓み下し
- 底本は白文で刷るので、訓み下しは当サイトによる。
解説
六歌仙の評は仮名序とよく対応するが、比喩は少しずつ違う。たとえば小町を、仮名序は「よき女のなやめる所あるに似たり」とし、真名序は「病婦之著花粉(病んだ女が化粧をしている)」とする。
真名序は、撰集の名がはじめ「続万葉集」であったと伝えており、古今集の成立過程を知る手がかりとなっている。
関連
出典
- 底本
- 有朋堂文庫『古今和歌集・後撰和歌集』 塚本哲三校訂、有朋堂書店、大正15年(1926)、真名序 2〜3頁(コマ7)。正保四年版『八代集』を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文は底本による。訓み下し・現代語訳・注は当サイト)
- 更新日