源氏物語 第52帖 蜻蛉(35)
蜻蛉の歌
薫は「人知れぬ好意などを申し上げますと、かえって皆が申し古したようなことを、不慣れな様子で真似るようになりますが、本気で、ほかの言葉を求めております」とおっしゃると、年配の女房は「君にもお伝えせず、差し出がましくも、思いがけなかったご境遇につけても、故宮がお思い申し上げていらっしゃったことなどが思い出されまして、このように折々おっしゃっているらしい陰ながらのお噂をも、うれしく思い申し上げていらっしゃるようです」と言う。並の人めいて思慮のない様子だなと気が進まないので、薫は「もともとお見捨てになれない縁であるうえに、今はまして然るべきことにつけてもお尋ねくださるのこそうれしいでしょう。疎々しく人づてなどでお扱いになるなら、とても」とおっしゃると、本当にと思い騒いで宮の君を引き動かすようなので、宮の君が「松も昔のとばかり物思いにふけっておりますのに、もとからなどとおっしゃる縁は、本当に頼もしく」と、人づてでもなく言いなしなさる声は、たいそう若々しく愛嬌があり、優しいところが添っている。ただ並のこのような局住みの人と思えばたいそう趣深いだろうが、今はどうしてこれほども人に声を聞かせるものと慣れていらしたのだろうと、何となく気がかりだ。容貌もたいそう優美だろうと見たくなる気配をしているのを、この人がまた例の宮(匂宮)のお心を乱す種になるようだと、おかしくもめったにない世の中だとも思っていらっしゃった。これこそはこの上ない人が大切にお育てになった姫君だ、またこれほどの人は多くいるだろう。不思議だったことは、あのような聖(八の宮)のあたりに、山懐から出てきた人々で不完全な者はいなかったことだ。このはかないとか軽々しいとか思いなす人(浮舟)も、このようにちょっと見た様子はたいそう趣深かったのにと、何事につけてもただあの一つの縁(宇治の姉妹)ばかりを思い出しなさった。不思議につらかった縁の数々をつくづくと思い続けて物思いにふけりなさる夕暮、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを、「ありと見て手にはとられず見れば又行くへもしらず消えし蜻蛉。あるかなきかの」と、いつものように独り言をおっしゃったとか。
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- 2かたちかたちかたちもももいといといとなまめかしからなまめかしからなまめかしからむむんかしかしかしととと見見みまほしきまほしきまほしきけはひけはひけはいのののしししたるたるたるをををこのこのこの人人ひとぞぞぞ又又また例例れいのののかのかのかの御心御心みこころ亂亂みだるるるべきべきべきつまつまつまなななめるめるめるととと、、、をかしうをかしうおかしゅうもももありがたありがたありがたののの世世よやややとととももも思思おもひひい居居い給給たまへへえりりり。。。これこれこれこそこそこそははは限限かぎりなきなきなき人人ひとのののかしづきかしづきかしずきおほしおほしおおしたてたてたて給給たまへへえるるる姫姫ひめ君君ぎみ又又またかばかりかばかりかばかりぞぞぞ多多おおくくくはははあるあるあるべきべきべき。。。あやしかりあやしかりあやしかりけるけるけることことことはははさるさるさる聖聖ひじりののの御御おんあたりあたりあたりににに山山やまのののふところふところふところよりよりより出出いででで來來きたるたるたる人々人々ひとびとのののかたほかたほかたおなるなるなるはははなかりなかりなかりけるけるけるこそこそこそ。。。このこのこのはかなしはかなしはかなしやややかろかろしかろかろしかろかろしやややなどなどなど思思おもひひいなすなすなす人人ひともももかやうかやうかようのののうちうちうち見見みるるるけしきけしきけしきはははいみじういみじういみじゅうこそこそこそをかしかりをかしかりおかしかりしかしかしかととと何何なに事事ことにににつけつけつけてててももも唯唯ただかのかのかのひとつひとつひとつゆかりゆかりゆかりをををぞぞぞ思思おもひひい出出いででで給給たまひひいけるけるける。。。あやしうあやしうあやしゅうつらかりつらかりつらかりけるけるける契契ちぎりどもどもどもをををつくづくつくづくつくずくととと思思おもひひい續續つづけけけながめながめながめ給給たまふふう夕夕ゆう暮暮ぐれ、、、かげろふかげろふかげろうののの物物ものはかなげはかなげはかなげににに飛飛とびびびちがふちがふちがうををを、、、「「「ありありありととと見見みててて手手てにににはははとらとらとられれれずずず見見みれれればばば又又また行行ゆくくくへへへもももしらしらしらずずず消消きえええししし蜻蜻かげ蛉蛉ろう。。。あるあるあるなきなきなきかかかののの」」」ととと例例れいのののひとりひとりひとりごちごちごち給給たまふふうとととかやかやかや。。。
現代語訳
「人知れぬ好意などを申し上げますと、かえって皆が申し古したようなことを、不慣れな様子で真似るようになりますが、本気で、ほかの言葉を求めております」とおっしゃると、「君にもお伝えせず、差し出がましくも、思いがけなかったご境遇につけても、故宮がお思い申し上げていらっしゃったことなどが思い出されまして、このように折々おっしゃっているらしい陰ながらのお噂をも、うれしく思い申し上げていらっしゃるようです」と言う。並の人めいて思慮のない様子だなと気が進まないので、「もともとお見捨てになれない縁であるうえに、今はまして然るべきことにつけてもお尋ねくださるのこそうれしいでしょう。疎々しく人づてなどでお扱いになるなら、とても」とおっしゃると、本当にと思い騒いで君を引き動かすようなので、「松も昔のとばかり物思いにふけっておりますのに、もとからなどとおっしゃる縁は、本当に頼もしく」と、人づてでもなく言いなしなさる声は、たいそう若々しく愛嬌があり、優しいところが添っている。ただ並のこのような離れ住みの人と思えばたいそう趣深いだろうが、今はどうしてこれほども人に声を聞かせるものと慣れていらしたのだろうと、何となく気がかりだ。
容貌もたいそう優美だろうと見たくなる気配をしているのを、この人がまた例のあの方のお心を乱す種になるようだと、おかしくもめったにない世の中だとも思っていらっしゃった。これこそはこの上ない人が大切にお育てになった姫君だ、またこれほどの人は多くいるだろう。不思議だったことは、あのような聖のあたりに、山懐から出てきた人々で不完全な者はいなかったことだ。このはかないとか軽々しいとか思いなす人も、このようにちょっと見た様子はたいそう趣深かったのにと、何事につけてもただあの一つの縁ばかりを思い出しなさった。不思議につらかった縁の数々をつくづくと思い続けて物思いにふけりなさる夕暮、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを、「そこにいると見ても手には取れず、見ればまた行方も知れず消えてしまった蜻蛉よ。あるかないかの」と、いつものように独り言をおっしゃったとか。
意訳
薫は宮の君に誠実な好意を伝えようとするが、取り次ぎの女房の応対は平凡で物足りない。薫が人づてでなく直接にと言うと、宮の君自身が、昔を懐かしむ気持ちと薫の好意への感謝を若々しい声で答える。薫は宮の君の魅力を感じつつ、匂宮が心を乱す相手になるだろうと思う。薫は、高貴な姫君も多い中で、八の宮の山里から出た姉妹は皆優れていたと思い、浮舟の面影も思い出す。夕暮れ、はかなく飛び交う蜻蛉を見て、薫は手に取れずに消えた浮舟を蜻蛉にたとえて独り言を言う。
語釈・文法注
文法
- 「しりうごと」(かくのみ折々聞えさせ給ふなる御しりうごとをも)
- 後言。陰で言う噂、陰口。ここでは陰ながらの好意の言葉。
- 「松も昔の」(松も昔のとのみながめらるゝに)
- 「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」(古今集)による。昔を知る友もいない寂しさ。
- 「蜻蛉」(見れば又行くへもしらず消えし蜻蛉)
- かげろう。はかないもののたとえ。この歌により巻名「蜻蛉」がつけられた。
解説
巻末の蜻蛉の歌は、薫の生涯を象徴する。大君、中の君、浮舟と、手に取ろうとしても取れず消えていった宇治の女性たち。「あるかなきかの」という結びは、存在のはかなさそのものを詠んでいる。
浮舟の生死を確かめられないまま、薫は蜻蛉に浮舟を重ねる。「行くへもしらず」という言葉は、次の手習の巻で浮舟が生きていることが明かされる伏線ともなっている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1190–1191頁(コマ306)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日