源氏物語 第40帖 御法(12)
人々の追慕
源氏は、葵の上の時に薄墨と詠んだのよりは、今少し濃い喪服を着ている。世の中に幸運に恵まれすばらしい人も、わけもなく世間に妬まれ、また身分のよいにつけても思い上がって人を苦しめる人もいるのに、紫の上は不思議なほど縁のない人にも好かれ、ちょっとしたことをしても何かにつけて世にほめられ、奥ゆかしく、折々につけて気が利いて、めったにないお人柄であった。それほど縁のない一般の人さえ、その頃は風の音や虫の声につけて涙を落とさない者はない。まして、ほのかにでもお見かけした人の心が慰められることはない。長年親しく仕え慣れた女房たちは、少しでも生き残った命が恨めしいと嘆いて、尼になり、この世の外の山住みなどを思い立つ者もいた。冷泉院の后の宮(秋好中宮)からも、哀れな手紙が絶えず、尽きない思いを書いて、枯れ果てた野辺をつらいと思って、亡き人は秋に心をとめなかったのでしょうか、今こそその理由が分かりましたとあるのを、源氏は正気もない心にも、繰り返し見て置きがたく思う。言うかいがあって趣ある方面の慰めとしては、この宮だけがおられると、少し気が紛れるように思い続けるにつけても涙がこぼれるのを、袖で拭う暇もなく、書き続けられない。上っていった雲の上からでも振り返って見てください、私は秋に飽き果ててしまいました、無常の世に、と書いて包んでも、しばらく物思いにふけっている。しっかりしたお気持ちにもなれず、自分ながら格別にぼんやりしていると思い知られることが多い紛らわしに、女房たちのいる方にいる。仏の御前に人を多くせずに、静かに勤行する。千年も共にと思っていたが、限りある別れはたいそう残念なことだった。今は極楽の蓮の露にも他のことに紛れずに来世をと、ひたすら思い立つことは怠りない。しかし人聞きをはばかるのがつまらないことである。法事のことなどは、紫の上がはっきりと言い置いたこともなかったので、夕霧が取り仕切って奉仕する。今日こそ出家かと我が身にも心構えをする折が多いが、はかなく日が積もっていくのも夢のようである。中宮なども、忘れる時もなく恋い慕う。

- 1うすゞみうすゞみうすずみとととのたまひのたまひのたまいしししよりよりよりははは、、、今今いますこしすこしすこしこまやかこまやかこまやかにてにてにて奉奉たてまつれれれりりり。。。世世よののの中中なかにににさいはひさいはひさいわいありありありめでたきめでたきめでたき人人ひとももも、、、あいなうあいなうあいのう大大おおかたかたかたののの世世よにににそねまそねまそねまれれれ、、、善善よきききにににつけつけつけてててももも心心こころのののかぎりかぎりかぎりおごりおごりおごりててて人人ひとのののためためため苦苦くるしきしきしき人人ひともももあるあるあるををを、、、あやしきあやしきあやしきまでまでまですゞろすゞろすずろなるなるなる人人ひとにににもももうけうけうけられられられ、、、はかなくはかなくはかなくしししいでいでいで給給たまふふうことことことももも何何なに事事ごとにににつけつけつけてててももも世世よにににほめほめほめられられられ、、、心心こころにくゝにくゝにくく折折おりふしふしふしにににつけつけつけつゝつゝつつらうらうしくらうらうしくろうろうしくありがたかりありがたかりありがたかりししし人人ひとののの御心御心みこころばへばへばえなりなりなりかしかしかし。。。さしもさしもさしもあるあるあるまじきまじきまじきおほよそおほよそおおよそののの人人ひとさへさへさへそのそのその比比ころははは風風かぜののの音音おと蟲蟲むしののの聲聲こえにににつけつけつけつゝつゝつつ淚淚なみだおとさおとさおとさぬぬぬはははなしなしなし。。。ましてましてましてほのかほのかほのかにににももも見見み奉奉たてまつりりりししし人人ひとののの思思おもひひい慰慰なぐさむむむべきべきべき世世よなしなしなし。。。年年とし比比ごろむつまじくむつまじくむつまじく仕仕つかうまつりうまつりうまつり馴馴なれれれたるたるたる人々人々ひとびとしばししばししばしももも殘殘のこれれれるるる命命いのちうらめしきうらめしきうらめしき事事ことををを歎歎なげきききつゝつゝつつ尼尼あまににになりなりなりこのこのこの世世よののの外外ほかののの山山やまずみずみずみなどなどなどににに思思おもひひいたつたつたつもももありありありけりけりけり。。。冷冷れい泉泉ぜい院院いんのののきさいきさいきさいののの宮宮みやよりよりよりもももあはれあはれあわれなるなるなる御御おんせうそこせうそこしょうそこ絕絕たえええずずず、、、盡盡つきききせせせぬぬぬ事事ことどもどもども聞聞きこえええ給給たまひひいててて、、、「「「枯枯かれれれはつるはつるはつる野野の邊邊べをををうしうしうしとととやややなきなきなき人人ひとののの秋秋あきににに心心こころをををとゞめとゞめとどめざりざりざりけむけむけん。。。今今いまなむなむなんことわりことわりことわり知知しららられれれ侍侍はべりりりぬるぬるぬる」」」とととありありありけるけるけるををを、、、物物ものおぼえおぼえおぼえぬぬぬ御心御心みこころにににもももうちうちうちかへしかへしかえし置置おきききがたくがたくがたく見見み給給たまふふう。。。
- 2いふかひいふかひいうかいありありありをかしからをかしからおかしからむむん方方かたのののなぐさめなぐさめなぐさめにににはははこのこのこの宮宮みやばかりばかりばかりこそこそこそおはしおはしおわしけれけれけれととと、、、聊聊いささか物物ものまぎるゝまぎるゝまぎるるやうやうようにににおぼしおぼしおぼしつゞくるつゞくるつづくるにににももも淚淚なみだのののこぼるゝこぼるゝこぼるるををを、、、袖袖そでのののいとまいとまいとまなくなくなくえええかきかきかきやりやりやり給給たまははわずずず。。。「「「のぼりのぼりのぼりにににししし雲雲くもゐゐいながらながらながらもももかへりかへりかえり見見みよよよわれわれわれあきあきあきはてはてはてぬぬぬ常常つねならならならぬぬぬ世世よににに。。。おしおしおしつゝみつゝみつつみ給給たまひひいてててももも」」」とととばかりばかりばかりうちうちうち眺眺ながめめめててておはすおはすおわす。。。すくよかすくよかすくよかにににもももおぼさおぼさおぼされれれずずず、、、われわれわれながらながらながら殊殊ことののの外外ほかにににほれほれしくほれほれしくほれぼれしくおぼしおぼしおぼし知知しらららるゝるゝるる事事こと多多おおかるかるかるまぎらはしまぎらはしまぎらわしににに女女おんながたがたがたにににぞぞぞおはしますおはしますおわします。。。佛佛ほとけのののおおお前前まえににに人人ひとしげからしげからしげからずずずもてもてもてなしなしなしてててのどやかのどやかのどやかにににおこなひおこなひおこない給給たまふふう。。。千千ち年年とせをををももももろとももろとももろともにににとととおぼしおぼしおぼしゝゝしかかかどどど、、、限限かぎりあるあるある別別わかれぞぞぞいといといと口惜口惜くちおしきしきしきわざわざわざなりなりなりけるけるける。。。今今いまははは蓮蓮はちすののの露露つゆもももことことことことことことにににまぎるまぎるまぎるまじくまじくまじく後後のちののの世世よをををととと、、、ひたひたひたみちみちみちにににおぼしおぼしおぼしたつたつたつ事事ことたゆみたゆみたゆみなしなしなし。。。されどされどされど人人ひとぎゝぎゝぎきをををはゞかりはゞかりはばかり給給たまふふうなむなむなんあぢきなかりあぢきなかりあじきなかりけるけるける。。。御御おんわざわざわざのののことことことゞゞどもももはかばかしくはかばかしくはかばかしくのたまひのたまひのたまい置置おきききつるつるつることことことなかりなかりなかりけれけれければばば、、、大大だい將將しょうののの君君きみなむなむなんとりとりとりもちもちもちててて仕仕つかうまつりうまつりうまつり給給たまひひいけるけるける。。。今今け日日きょうやややとととのみのみのみ我我わががが身身みももも心心こころづかひづかひずかいせせせられられられ給給たまふふうをりをりおり多多おおかるかるかるをををはかなくはかなくはかなくてててつもりつもりつもりけるけるけるももも夢夢ゆめののの心心こころちちちのみのみのみすすす。。。中中ちゅう宮宮ぐうなどなどなどもももおぼしおぼしおぼし忘忘わするゝるゝるる時時ときののの間間まなくなくなく戀戀こひひいきこえきこえきこえたまふたまふたまう。。。
現代語訳
源氏は、葵の上の時に「薄墨」とおっしゃったのよりは、今少し色の濃い喪服をお召しになっていた。世の中に幸運に恵まれ、すばらしい人も、わけもなく世間一般に妬まれ、また身分のよいにつけても、心の限り思い上がって、人のために苦しい人もいるのに、紫の上は不思議なまでに、縁のない人にも好かれ、ちょっとしたことをなさっても、何事につけても世にほめられ、奥ゆかしく、折々につけて気が利いていて、めったにないお人柄であった。それほど縁もないような世間一般の人でさえ、その頃は風の音や虫の声につけても、涙を落とさない者はない。まして、ほのかにでもお見かけ申し上げた人が、思いを慰められる時はない。長年親しくお仕えし慣れた女房たちは、少しの間でも生き残っている命が恨めしいことを嘆きながら、尼になり、この世の外の山住みなどを思い立つ者もいた。冷泉院の后の宮(秋好中宮)からも、哀れなお手紙が絶えず、尽きない思いなどを申し上げなさって、「枯れ果てた野辺をつらいと思って、亡き人は秋に心をおとめにならなかったのでしょうか。今こそ、その理由が分かりました」とあったのを、源氏は正気もないお心にも、繰り返し見て、置きがたくご覧になる。
言うかいがあって、趣ある方面の慰めとしては、この宮だけがいらっしゃるのだったと、少し気が紛れるようにお思い続けになるにつけても、涙がこぼれるのを、袖で拭う暇もなく、書き続けることがおできにならない。「上っていった雲の上からでも振り返って見てください。私は秋にすっかり飽き果ててしまいました、無常の世に」と書いて、お包みになっても、しばらく物思いにふけっていらっしゃる。しっかりしたお気持ちにもおなりになれず、自分ながら格別にぼんやりしているとお思い知りになることが多いので、その紛らわしに、女房たちのいる方にいらっしゃる。仏の御前に人を多くせずにして、静かに勤行なさる。千年も共にとお思いになっていたが、限りある別れは、たいそう残念なことであった。今は極楽の蓮の露にも、他のことに紛れずに来世をと、ひたすら思い立ちなさることは怠りない。けれども人聞きをはばかっていらっしゃるのは、つまらないことであった。御法事のことなどは、紫の上がはっきりと言い置かれたこともなかったので、大将の君(夕霧)が取り仕切ってお仕えなさった。今日こそ出家かとばかり、ご自身でも心構えをなさる折が多いのに、はかなく日が積もっていくのも、夢のような心地ばかりがする。中宮(明石の中宮)なども、お忘れになる時の間もなく、恋い慕い申し上げなさる。
意訳
紫の上は誰からも愛された稀な人柄で、世の人々も女房たちも深く悲しむ。秋好中宮から弔問の歌が届き、源氏は返歌する。
源氏はひたすら来世を願って勤行するが、人聞きをはばかって出家できず、夕霧が法事を取り仕切る。中宮も紫の上を恋い慕う。
語釈・文法注
文法
- 「うすゞみ」(うすゞみとのたまひしよりは)
- 葵の上の死の時、源氏が「限りあれば薄墨衣浅けれど」と詠んだことを指す。
- 「らうらうし」(心にくゝ折ふしにつけつゝらうらうしく)
- 洗練されて気が利いている。
- 「秋に心をとゞめざりけむ」(なき人の秋に心をとゞめざりけむ)
- かつて春秋の争いで、紫の上が春を、秋好中宮が秋を好んだことを踏まえる。
解説
紫の上の人柄が、語り手によって総括される。幸運な人は妬まれ、身分の高い人は思い上がるものだが、紫の上は誰からも愛された。紫の上の死を、縁のない人までもが悲しむ。紫の上は、源氏物語の中で最も完成された女性として描かれている。
秋好中宮の歌は、かつての春秋の争いを踏まえ、紫の上が秋を好まなかった理由が今分かったと詠む。秋に紫の上を失った悲しみが、春秋の争いの思い出と重なる。御法の巻は、紫の上を失った源氏の深い悲しみの中で閉じられ、次の幻の巻へと続いていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、822–824頁(コマ122–123)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日