源氏物語 第40帖 御法(11)
致仕の大臣の弔問
帝をはじめあちこちからの弔問は、通り一遍の作法ばかりでなく、たいそう頻繁に届く。源氏の思い詰めた心には、何事も目にも耳にもとまらず、心にかかることもないはずだが、人にぼけたように見られまい、今さら晩年に頑なで心弱い惑いから世を背いたと、後の世まで残る評判をはばかるので、思うままにならない嘆きまで加わる。致仕の大臣は、哀れを感じる折を逃さない心の人なので、これほど世に類なかった人がはかなく亡くなったことを残念に哀れに思って、たいそうたびたび弔問する。昔、夕霧の母葵の上が亡くなったのもこの頃のことだったと思い出すと、たいそう物悲しく、あの時あの方を惜しんだ人も多く亡くなったことよ、後れ先立つ間もない世の中だなどと、しめやかな夕暮れに物思いにふける。空の様子もただならないので、子の蔵人少将を使いにして手紙を送る。哀れなことなどを細やかに書いて、端に、昔の秋さえ今のことのような気がして、涙に濡れた袖に、また露が置き添うことですと詠む。源氏は折柄、万事の昔のことが思い出されて、何となくあの秋のことも恋しく、こぼれる涙を払いきれない紛れに、露けさは昔も今も変わりません、だいたい秋の夜こそつらいものですと返し、悲しいばかりの心のままに書いたら、大臣は待ち受けて心弱いと見とがめるだろう、そういう方なので、見苦しくない程度にと思って、たびたびのなおざりでない弔問が重なったことを喜ぶと書く。

- 1所所ところ々々どころののの御御おんとぶらひとぶらひとぶらいうちうちうちをををはじめはじめはじめ奉奉たてまつりりりててて例例れいののの作作さ法法ほうばかりばかりばかりにににはははあらあらあらずずずいといといとしげくしげくしげく聞聞きこえええ給給たまふふう。。。おぼしめしおぼしめしおぼしめしたるたるたる心心こころのののほどほどほどにににはははさらにさらにさらに何何なに事事ごとももも目目めにににももも耳耳みみにににもももとゞまらとゞまらとどまらずずず、、、心心こころにににかゝりかゝりかかり給給たまふふう事事ことあるあるあるまじけれまじけれまじけれどどど、、、人人ひとにににぼけぼけしきぼけぼけしきぼけぼけしきさまさまさまににに見見みえええじじじ、、、今今いま更更さらににに我我わががが世世よののの末末すえにににかたくなしくかたくなしくかたくなしく心心こころ弱弱よわきききまどひまどひまどいにてにてにて世世よののの中中なかをををなむなむなん背背そむきききにににけるけるけるとととなかれなかれなかれとゞまらとゞまらとどまらむむん名名なをををおぼしおぼしおぼしつゝむつゝむつつむににになむなむなん、、、身身みををを心心こころににに任任まかせせせぬぬぬなげきなげきなげきをををさへさへさへうちうちうちそへそへそえ給給たまひひいけるけるける。。。致致ち仕仕じのののおとゝおとゝおとと哀哀あわれをををももも折折おり過過すぐししし給給たまははわぬぬぬ御心御心みこころにてにてにてかくかくかく世世よにににたぐひたぐひたぐいなくなくなく物物ものししし給給たまふふう人人ひとのののはかなくはかなくはかなくうせうせうせ給給たまひひいぬるぬるぬることことことををを口口くちをしくをしくおしく哀哀あわれにににおぼしおぼしおぼしててて、、、いといといとしばしばしばしばしばしば問問とひひい聞聞きこえええ給給たまふふう。。。昔昔むかし大大だい將將しょうののの御御おん母母はは上上うえうせうせうせ給給たまへへえりりりしししもももこのこのこの比比ごろのののことことことぞぞぞかしかしかしとととおぼしおぼしおぼし出出いづるづるずるにににいといといと物物もの悲悲がなしくしくしく、、、そのそのそのをりをりおりかのかのかの御御おん身身みををを惜惜おしみみみ聞聞きこえええ給給たまひひいししし人人ひとののの多多おおくくくもももうせうせうせ給給たまひひいにににけるけるけるかなかなかな、、、後後おくれれれ先先さきだつだつだつ程程ほどなきなきなき世世よなりなりなりけりけりけりやややなどなどなど、、、しめやかしめやかしめやかなるなるなる夕夕ゆう暮暮ぐれにににながめながめながめ給給たまふふう。。。
- 2空空そらののの氣色氣色けしきもももたゞたゞただならならならねねねばばば御御み子子こののの藏藏くら人人うどののの少少しょう將將しょうしししててて奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。哀哀あわれなるなるなることことことなどなどなどこまやかこまやかこまやかににに聞聞きこえええ給給たまひひいててて、、、はしはしはしににに、、、「「「いにしへいにしへいにしえののの秋秋あきさへさへさへ今今いまのののこゝちこゝちここちしししてててぬれぬれぬれにににししし袖袖そでににに露露つゆぞぞぞおきおきおきそふそふそう」」」。。。をりをりおりからからからににに萬萬よろずのののふるふるふる事事ことおぼしおぼしおぼし出出いでででられられられててて何何なにとととなくなくなくそのそのその秋秋あきののの事事こと戀戀こいしうしうしゅうかきかきかきあつめあつめあつめ、、、こぼるゝこぼるゝこぼるる淚淚なみだをををはらひはらひはらいもももあへあへあえ給給たまははわぬぬぬまぎれまぎれまぎれににに、、、御御おんかへしかへしかへし、、、「「「露露つゆけさけさけさはははむかしむかしむかし今今いまともともともおもほえおもほえおもおえずずず大大おおかたかたかた秋秋あきのののよよよこそこそこそつらけれつらけれつらけれ。。。物物もののみのみのみ悲悲かなしきしきしき御心御心みこころのののまゝまゝままならならならばばばまちまちまちとりとりとり給給たまひひいてててははは心心こころよわくよわくよわくももも」」」ととと「「「目目め留留とどめめめ給給たまひひいつつつべきべきべきおとゞおとゞおとどののの御心御心みこころざまざまざまなれなれなればばばめやすきめやすきめやすきほどほどほどににに」」」ととと「「「度度たび々々たびのののなほざりなほざりなおざりならならならぬぬぬ御御おんとぶらひとぶらひとぶらいのののかさなりかさなりかさなりぬるぬるぬる事事こと」」」ととと悅悅よろこびびび聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
現代語訳
あちこちからのお弔いは、帝をはじめとして、通り一遍の作法ばかりではなく、たいそう頻繁に申し上げなさる。源氏の思い詰めていらっしゃるお心のうちには、まったく何事も目にも耳にもとまらず、心にかかりなさることもないはずだが、人にぼけたように見られまい、今さら晩年に、頑なで心弱い惑いから世を背いたのだと、後の世まで流れとどまるだろう評判を気にかけて慎みなさるので、身を心のままにできない嘆きまでも加えていらっしゃった。致仕の大臣は、哀れを感じる折も見過ごしなさらないお心で、このように世に類なくいらっしゃった人がはかなくお亡くなりになったことを、残念に哀れにお思いになって、たいそうたびたびお見舞い申し上げなさる。昔、大将の御母上(葵の上)がお亡くなりになったのもこの頃のことだったよとお思い出しになると、たいそう物悲しく、あの折あの方をお惜しみ申し上げなさった人も、多く亡くなっておしまいになったことよ、後れたり先立ったりする間もない世の中であったことよなどと、しめやかな夕暮れに物思いにふけっていらっしゃる。
空の様子もただならないので、御子の蔵人少将を使いにして、お手紙を差し上げなさる。哀れなことなどを細やかに申し上げなさって、端に、「昔の秋(葵の上の亡くなった秋)さえ、今のことのような気がして、涙に濡れてしまった袖に、また露が置き添うことです」。源氏は折柄、万事の昔のことが思い出されて、何となくあの秋のことも恋しく、こぼれる涙を払いきれない紛れに、お返事、「露けさは、昔も今も変わりがないと思われます。だいたい秋の夜こそつらいものです」。悲しいばかりのお心のままに書いたら、大臣は待ち受けて、心弱いと見とがめなさるにちがいないお心の方なので、見苦しくない程度にと思って、「たびたびの、なおざりでないお見舞いが重なりましたこと」と、お喜び申し上げなさる。
意訳
源氏は心弱いと見られるのを恐れて出家もできず、致仕の大臣は葵の上の死を思い出して、源氏に弔問の歌を送る。
源氏は、秋の夜こそつらいと、心弱く見えない程度に返歌し、たびたびの弔問に感謝する。
語釈・文法注
文法
- 「ぼけぼけし」(人にぼけぼけしきさまに見えじ)
- ぼんやりしている、ぼけたようである。
- 「なかれとゞまらむ名」(なかれとゞまらむ名をおぼしつゝむ)
- 後の世まで流れ残るだろう評判。
- 「いにしへの秋」(いにしへの秋さへ今のこゝちして)
- 葵の上が亡くなった秋。致仕の大臣にとっては妹の死。
解説
源氏は、悲しみのあまり出家したと言われることを恐れて、出家を思いとどまる。体面を気にする源氏の姿は、悲しみの中でも世間の目から逃れられない立場を示している。
致仕の大臣は、妹の葵の上が亡くなった秋を思い出して、源氏に歌を送る。若い頃は競い合った二人が、今は共に老いて、愛する人を失った悲しみを分かち合う。源氏は、心弱いと見られないよう、慎重に返歌する。二人の長い関係が、短いやりとりに凝縮されている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、822–823頁(コマ122)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日