源氏物語 第35帖 若菜下(55)
柏木の重病
柏木は落葉の宮に、もう頼みがないとお聞きになったら、ひそかに来て会ってほしい、必ずまた対面したい、自分の怠りがちな愚かな性分のために、何かにつけて粗略に思われることがあっただろうと悔やまれる、このような短い命とも知らず、行く末長くとばかり思っていたと、泣く泣く父の邸に移る。宮は残って、言いようもなく思い焦がれる。父の邸では、両親が待ち受けて大騒ぎをする。急に重い病状ではないが、何か月も食事をとらず、果物の柑子にさえ手を触れず、ただだんだん何かに引き込まれるように弱っていく。時の有識者である柏木がこのようになったので、世の人々は惜しみ、見舞いに来ない人はない。帝からも朱雀院からもたびたび見舞いがあり、ひどく惜しむにつけても、親たちの心はいよいよ惑う。源氏も、たいそう残念なことだと驚いて、たびたび丁重に見舞い、父の大臣にも申し上げる。夕霧は、まして親友なので、そばに付き添ってひどく嘆いている。朱雀院の御賀は二十五日に行われた。このような時に、高貴な上達部が重く患い、親兄弟の大勢の人々がそのような高い家柄の嘆きに沈んでいる頃なので、興ざめのようではあるが、月々延期してきたうえに、やめるわけにはいかないので、どうして思いとどまることがあろうか。源氏は、女三の宮の心の内を気の毒に思う。いつものように五十寺の誦経、また朱雀院のいる御寺にも、摩訶毘盧遮那の。

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現代語訳
柏木は、「もう今はと、望みがないとお聞きになったら、たいそうひそかにお越しになって、私をご覧ください。必ずまた対面をいただきたい。不思議と怠りがちで愚かな性分で、何かにつけて、おろそかにお思いになることがあったでしょうことが悔やまれます。このような命の長さとも知らずに、行く末長くとばかり思っておりましたことよ」と、泣く泣く父の邸へお移りになった。宮はお残りになって、言いようもなく思い焦がれていらっしゃる。大殿(父の邸)では、待ち受け申し上げなさって、何かと大騒ぎをなさる。実は、急に大げさなご病状というわけでもなく、何か月も食事などをまったく召し上がらなかったので、いっそう、ちょっとした柑子などにさえ手もお触れにならず、ただだんだん何かに引き込まれていくようにお見えになる。時の有識者である柏木がこのようでいらっしゃるので、世の中の人々は惜しみ残念がって、お見舞いに参上なさらない人はいない。帝からも院(朱雀院)からも、お見舞いをたびたび申し上げなさりながら、ひどく惜しくお思いになっているにつけても、いっそう親たちのお心ばかりが惑う。六条院(源氏)でも、たいそう残念なことだとお驚きになって、お見舞いにたびたび丁重に、父の大臣にも申し上げなさる。大将(夕霧)は、まして、たいそう仲のよいお間柄なので、おそば近くにいらっしゃりながら、ひどく嘆いてまわっていらっしゃる。
朱雀院の御賀は二十五日になった。このような時に、高貴な上達部が重く患っていらっしゃって、親兄弟の大勢の人々が、そのような高い家柄の嘆きにしおれていらっしゃる頃なので、何となく興ざめのようだけれど、月々延期してきたことさえあるのに、そのままやめるわけにはいかないことなので、どうして思いとどまりなさることがあろうか。源氏は、女宮(女三の宮)のお心の内を、気の毒にお思い申し上げなさる。例の五十寺の御誦経、また、あの院(朱雀院)のいらっしゃる御寺でも、摩訶毘盧遮那の(御修法を行った)。
意訳
柏木は落葉の宮に再会を約して父の邸に移り、何かに引き込まれるように弱っていく。帝や朱雀院、源氏からも見舞いがあり、夕霧は深く嘆く。
柏木の重病の中、朱雀院の五十の賀は二十五日に行われ、源氏は女三の宮の心中を思いやる。
語釈・文法注
文法
- 「かうじ」(はかなきかうじなどをだにふれ給はず)
- 柑子。みかんの一種。病人の食べ物とされた。
- 「いうそく」(さるときのいうそくのかくものし給へば)
- 有識。学問や教養、才能に優れた人。
- 「まかびるさな」(かのおはします御寺にもまかびるさなの)
- 摩訶毘盧遮那。大日如来。巻末は「の」で終わり、下に「御修法」などが省略されているとされる。
解説
若菜下の巻は、柏木の重病と、朱雀院の五十の賀の挙行とで結ばれる。延期を重ねた賀は、柏木の病という暗い影の中で、ようやく行われる。源氏は「女宮の御心のうちをぞいとほしく」と、宮の心を思いやる。罪を犯した宮も、柏木も、それぞれに苦しんでいる。
巻末が「まかびるさなの」という途中で終わる形になっているのは、古来の写本の姿をそのまま伝えたものとされる。物語は、柏木の死と女三の宮の出産、出家を描く次の柏木の巻へと続いていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、716–717頁(コマ69)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日