源氏物語 第15帖 蓬生(1)
荒れゆく常陸宮邸
源氏が須磨に退去していたころ、都では多くの人が嘆いたが、紫の上などは源氏と文を交わして慰めることができた。しかし、末摘花は源氏の援助が途絶えて困窮し、女房たちも次々に去っていく。常陸宮の邸は荒れ果てて、狐や梟のすみかとなる。受領が邸を買いたいと言い、調度を売るよう勧める者もいるが、末摘花は父宮の遺したものを守って手放さない。

- 1もしほもしほもしおたれたれたれつゝつゝつつ侘侘わびびび給給たまひひいししし頃頃ころほひほひおい都都みやこにににもももさまざまさまざまさまざまおぼしおぼしおぼし歎歎なげくくく人人ひと多多おおかりかりかりしししををを、、、さてもさてもさても我我わががが身身みのののよりよりより所所どころあるあるあるははは一方一方ひとかたののの思思おもいこそこそこそ苦苦くるしげしげしげなりなりなりしかしかしか。。。
- 2二條二條にじょうののの上上うえなどなどなどももものどやかのどやかのどやかにてにてにて旅旅たびののの御御おんすみかすみかすみかをををもももおぼつかなからおぼつかなからおぼつかなからずずず聞聞きこえええ通通かよひひい給給たまひひいつゝつゝつつ位位くらいををを去去さりりり給給たまへへえるるるかりかりかりののの御御おんよそひよそひよそいをををももも竹竹たけののの子子こののの世世よのののうきうきうきふしふしふしををを時々時々ときどきにににつけつけつけてててあつかひあつかひあつかい聞聞きこえええ給給たまふふうににに慰慰なぐさめめめ給給たまひひいけむけむけん。。。
- 3なかなかなかなかなかなかそのそのその數數かずとととももも人人ひとにににももも知知しららられれれずずず立立たちちち別別わかれれれ給給たまひひいししし程程ほどののの御御おん有樣有樣ありさまをををもももよそよそよそののの事事ことににに思思おもひひいやりやりやり給給たまふふう人々人々びとのののまたまたまたののの心心こころ碎碎くだききき給給たまふふうたぐひたぐひたぐい多多おおかりかりかり。。。
- 4常陸常陸ひたちののの宮宮みやののの君君きみははは父父ちちみこみこみこのののうせうせうせ給給たまひひいにににししし名殘名殘なごりににに又又また思思おもひひいあつかふあつかふあつかう人人ひともももなきなきなき御身御身おんみにてにてにていみじういみじういみじゅう心心こころぼそげぼそげぼそげなりなりなりしししををを、、、思思おもひひいかけかけかけぬぬぬ御御おん事事ことののの出出いででで來來きてててとぶらひとぶらひとぶらい聞聞きこえええ給給たまふふう事事こと絕絕たえええざりざりざりしししををを、、、
- 5いかめしきいかめしきいかめしき御御おん勢勢いきおいにににこそこそこそことことことにににもももあらあらあらずずずはかなきはかなきはかなき程程ほどののの御御おん情情なさけばかりばかりばかりととと思思おぼしししたりたりたりしかしかしかどどど、、、まちまちまちうけうけうけ給給たまふふう御御おん袂袂たもとのののせばきせばきせばきにににははは大空大空おおぞらののの星星ほしののの光光ひかりをををののの水水みずににに寫寫うつしししたるたるたる心地心地ここちしししてててすぐしすぐしすぐし給給たまひひいししし程程ほどににに、、、
- 6かゝるかゝるかかる世世よののの騷騷さわぎぎぎ出出いででで來來きてててなべてなべてなべてののの世世よ憂憂うくくくおぼしおぼしおぼし亂亂みだれれれしししまぎれまぎれまぎれににに、、、わざとわざとわざと深深ふかからからからぬぬぬかたかたかたののの志志こころざしはははうちうちうち忘忘わすれれれたるたるたるやうやうようにてにてにて遠遠とおくくくおはしましおはしましおわしましにににししし後後のち、、、ふりはへふりはへふりはえてててしもしもしもえええ尋尋たずねねね聞聞きこえええ給給たまははわずずず。。。そのそのその名殘名殘なごりににに暫暫しばしししはははなくなくなくなくなくなくもももすぐしすぐしすぐし給給たまひひいしししををを、、、年月年月としつきふるふるふるまゝまゝままににに哀哀あわれににに淋淋さびしきしきしき御御おん有樣有樣ありさまなりなりなり。。。
- 7ふるきふるきふるき女女おんなばらばらばらなどなどなどははは「「「いでいでいでやややいといといと口惜口惜くちおしきしきしき御御おん宿世宿世すくせなりなりなりけりけりけり。。。おぼえおぼえおぼえずずず神神かみ佛佛ほとけののの顯顯あらわれれれ給給たまへへえらむらむらんやうやうようなりなりなりししし御心御心こころばへばへばえににに、、、かゝるかゝるかかるよすがよすがよすがももも人人ひとはははいでいでいでおはするおはするおわするものものものなりなりなりけりけりけりとととありがたうありがたうありがとう見見み奉奉たてまつりりりしししををを大方大方おおかたののの世世よののの事事こととととはははいひいひいいながらながらながら又又また賴賴たのむむむかたかたかたなきなきなき御御おん有樣有樣ありさまこそこそこそかなしけれかなしけれかなしけれ」」」とととつぶやきつぶやきつぶやきなげくなげくなげく。。。
- 8さるさるさる方方かたにににありつきありつきありつきたりたりたりしししあなたあなたあなたののの年年としごろごろごろはははいふかひなきいふかひなきいうかいなき淋淋さびしさしさしさにににめなれめなれめなれてててすぐしすぐしすぐし給給たまひひいしししををを、、、なかなかなかなかなかなか少少すこししし世世よづきづきずきてててならひならひならいにににけるけるける年月年月としつきにににいといといと堪堪たへへえがたくがたくがたく思思おもひひい歎歎なげくくくべしべしべし。。。
- 9少少すこしししもももさてさてさてありありありぬぬぬべきべきべき人々人々びとはははおのづからおのづからおのずから參參まいりりりつきつきつきてててありありありしししををを皆皆みなつぎつぎつぎつぎつぎつぎににに隨隨したがひひいててていきいきいき散散ちりりりぬぬぬ。。。女女おんなばらばらばらのののいのちいのちいのち堪堪たへへえぬぬぬもももありありありててて月日月日つきひににに隨隨したがひひいてててかみしもかみしもかみしもののの人數人數ひとかず少少すくなくくくなりなりなりゆくゆくゆく。。。
- 10もとよりもとよりもとより荒荒あれれれたりたりたりししし宮宮みやののの中中うちいとゞいとゞいとど狐狐きつねのののすみかすみかすみかににになりなりなりててて疎疎うとましうましうましゅうけどほきけどほきけどおきこだちこだちこだちにににふくろふふくろふふくろうののの聲聲こえをををあさゆふあさゆふあさゆうににに耳耳みみならしならしならしつゝつゝつつ人人ひとげげげにににこそこそこそ、、、さやうさやうさようののの物物ものもももせかせかせかれれれててて影影かげ隱隱かくしししけれけれけれ。。。こだまこだまこだまなどなどなどけしからけしからけしからぬぬぬものものものどもどもども所所ところををを得得えてててやうやうやうやうようようかたちかたちかたちををを顯顯あらわししし物物もの侘侘わびしきしきしきことことことのみのみのみ數數かず知知しらららぬぬぬににに
- 11まれまれまれまれまれまれ殘殘のこりりりててて侍侍さぶらふふう人人ひとははは「「「猶猶なおいといといとわりなしわりなしわりなし。。。このこのこの頃頃ころずりやうずりやうずりょうどもどもどものののおもしろきおもしろきおもしろき家家いえづくりづくりずくり好好このむむむがががこのこのこの宮宮みやのののこだちこだちこだちををを心心こころにににつけつけつけててて放放はなちちち給給たまははわせせせてててむむんやややとととほとりほとりほとりにににつきつきつきてててあないあないあないししし申申もうさささするするするをををさやうさやうさようにににせせせさせさせさせ給給たまひひいててていといといとかうかうこう物物もの恐恐おそろしからしからしからぬぬぬ御御おん住住すまひひいにににおぼしおぼしおぼしうつろはうつろはうつろわなむなむなん、、、立立たちちちとまりとまりとまり侍侍さぶらふふう人人ひともももいといといと堪堪たへへえ難難がたししし」」」などなどなど聞聞きこゆれゆれゆれどどど、、、
- 12「「「あなあなあないみじいみじいみじややや、、、人人ひとののの聞聞きききき思思おもははわむむんことことこともももありありあり、、、生生いけけけるるる世世よにににしかしかしか名殘名殘なごりなきなきなきわざわざわざはははいかゞいかゞいかがせせせむむん。。。かくかくかく恐恐おそろしげしげしげににに荒荒あれれれはてはてはてぬれぬれぬれどどど親親おやののの御御おん影影かげとまりとまりとまりたるたるたる心地心地ここちするするするふるきふるきふるきすみかすみかすみかととと思思おもふふうににに慰慰なぐさみみみてててこそこそこそあれあれあれ」」」とととうちうちうち泣泣なきききつゝつゝつつおぼしおぼしおぼしもももかけかけかけずずず、、、
- 13御御おん調度調度ちょうどどもどもどもゝゝもいといといと古代古代こたいににになれなれなれたるたるたるががが昔昔むかしやうやうようにてにてにてうるはしきうるはしきうるわしきをををなまなまなまものものものゝゝの故故ゆえ知知しらららむむんととと思思おもへへえるるる人人ひと、、、さるさるさるものものものえうじえうじようじてててわざとわざとわざとそのそのその人人ひとかのかのかの人人ひとにににせせせさせさせさせ給給たまへへえるるるととと尋尋たずねねね聞聞ききききてててあないあないあないするするするもももおのづからおのづからおのずからかゝるかゝるかかる貧貧まずしきしきしきあたりあたりあたりととと思思おもひひいあなづりあなづりあなずりててて言言いひひいくるくるくるををを、、、
- 14例例れいののの女女おんなばらばらばら「「「いかゞいかゞいかがはははせせせむむん、、、そこそはそこそはそこそわ世世よののの常常つねののの事事こと」」」とととててて取取とりりりまぎらはしまぎらはしまぎらわしつゝつゝつつ目目めににに近近ちかきききけふけふけうあすあすあすののの見見み苦苦ぐるしししさささをををつくろはつくろはつくろわむむんとととするするする時時ときもももあるあるあるをををいみじういみじういみじゅう諫諫いさめめめ給給たまひひいててて「「「見見みよよよととと思思おもひひい給給たまひひいてててこそこそこそしししおかおかおかせせせ給給たまひひいけめけめけめ、、、などなどなどてててかかか輕々輕々かろがろしきしきしき人人ひとののの家家いえののの飾飾かざりりりとととはははなさなさなさむむん。。。なきなきなき人人ひとののの御御おんほいほいほい違違たがははわむむんががが哀哀あわれなるなるなることことこと」」」とととのののたまひたまひたまいてててさるさるさるわざわざわざはははせせせさせさせさせ給給たまははわずずず。。。
現代語訳
源氏が須磨で涙にくれて侘び住まいをしていらっしゃったころ、都でもさまざまにお嘆きになる人が多かったが、それでも自分の身のよりどころがある人は、源氏を恋しく思うという一つの思いだけが苦しそうであった。二条の上(紫の上)なども、穏やかに、旅のお住まいにも不安のないようにお便りを交わしなさりながら、位を退かれた仮の装束なども、つらい世の折々につけてお世話申し上げなさることで、心を慰めなさったことだろう。かえって、人並みにも数えられず、人にも知られずにお別れなさった時のご様子も、よそごとのように思いやりなさる人々の中には、ひそかに心を砕きなさる人が多かった。
常陸の宮の君(末摘花)は、父宮がお亡くなりになった後、ほかに世話をしてくれる人もいない御身で、たいそう心細そうであったが、思いがけない源氏とのご縁ができて、お見舞い申し上げなさることが絶えなかったので、源氏のご威勢からすれば何ほどのこともない、ほんのわずかなお情けにすぎないとお思いになっていたけれど、それを待ち受けなさる袂の狭い身には、大空の星の光を盥の水に映したような心地がして過ごしていらっしゃったうちに、
あの世の騒ぎが起こって、源氏は世の中すべてをつらくお思い乱れになったまぎれに、とりわけ深くもない方面の思いは忘れたようになって、遠くへ行ってしまわれた後は、わざわざお便りをなさることもない。その名残で、しばらくは泣く泣くも過ごしていらっしゃったが、年月がたつにつれて、哀れで寂しいご様子である。
古くからいる女房たちなどは、「さてもまあ、たいそう残念なご運勢でしたこと。思いがけず神仏が現れなさったようなお心遣いで、こういう頼りも人にはできるものなのだと、ありがたく拝見していたのに、世の常のこととは言いながら、また頼る方もないご様子が悲しいこと」とつぶやき嘆く。そういう境遇に慣れきっていた昔の年月は、言いようのない寂しさにも目が慣れて過ごしていらっしゃったが、かえって少し人並みの暮らしに慣れてしまった年月の後では、たいそう堪えがたく思い嘆くのだろう。
少しでも役に立ちそうな女房たちは、自然と参上して仕えていたのだが、皆次々に後を追って去り散ってしまった。女房の中には命の尽きた者もいて、月日がたつにつれて、上下の人数が少なくなってゆく。もとから荒れていた宮の中は、いっそう狐のすみかとなって、気味悪く人気のない木立に、梟の声を朝夕に聞き慣れながら、人の気配があればこそ、そういう物も遠慮して姿を隠しているのだった。木霊などの怪しいものどもが、わがもの顔に、だんだん姿を現して、心細いことばかりが数知れないので、
まれに残ってお仕えしている女房は、「やはりたいそうどうしようもありません。このごろ受領たちで、趣のある家造りを好む者が、この宮の木立を気に入って、手放してくださらないかと、つてを求めて申し入れてきておりますので、そうなさって、たいそうこう恐ろしくはないお住まいにお移りになってほしいものです。残ってお仕えする者もたいそう堪えがたいのです」などと申し上げるけれど、末摘花は「まあ、とんでもない。人が聞いてどう思うかということもあります。生きているうちに、そのように跡形もないことはどうしてできましょう。このように恐ろしげに荒れ果ててしまったけれど、親のお姿がとどまっている気がする古いすみかと思うと、慰められているのです」と泣きながら、まったくお考えにもならない。
お道具類も、たいそう古風で使い慣れたものが、昔風で立派なのを、なまじっか由緒を知りたいと思っている人が、そういう物を欲しがって、わざわざ誰それの名工にお作らせになったものだと聞きつけて、申し入れてくるのも、自然とこのような貧しい所だと見下して言ってくるのを、例の女房たちが「どうしようもありません。そうするのが世の常のことです」と言って、こっそり処分しては、目の前の今日明日の見苦しさを取り繕おうとする時もあるのを、末摘花はひどくお諫めになって、「私に使えと思って作らせておかれたのでしょう。どうして身分の軽い人の家の飾りにできましょう。亡き人のご本意に背くのが悲しいことです」とおっしゃって、そのようなことはおさせにならない。
意訳
源氏が須磨に退去していたころ、都では紫の上などは源氏と文を交わして慰めることができたが、末摘花は源氏の援助が途絶えて困窮する。女房たちは次々に去り、常陸宮の邸は狐や梟のすみかとなるほど荒れ果てる。
受領が邸を買いたいと言い、調度を売るよう勧める者もいるが、末摘花は父宮の遺したものを守って、決して手放そうとしない。
語釈・文法注
- 大空の星の光を盥の水に寫したる
- 手の届かない大空の星が、盥の水に映って身近に見えるように、身分違いの源氏の情けを身近に受けていたことのたとえ。
文法
- 過去推量の「けむ」(慰め給ひけむ)
- 「心を慰めなさったことだろう」。語り手の推量。
- 願望の「なむ」(おぼしうつろはなむ)
- 「お移りになってほしい」。未然形について他にあつらえ望む。
解説
蓬生の巻は、須磨・明石の巻と並行する時間を、末摘花の側から描く巻である。源氏の不在が、源氏を頼りにしていた女性たちにどのような影響を与えたかが、具体的に描かれる。
末摘花は、困窮の中でも父宮の邸や調度を守り抜く。その頑なさは世間知らずとも見えるが、古い家柄の誇りを守る生き方として描かれ、のちに源氏の心を動かすことになる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、304–307頁(コマ155–156)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日