新古今和歌集 巻第八 哀傷歌 841番
そこはかと
どこがどうとも言えないまま思い続けて来てみると、今年の今日も、袖は涙に濡れたことだ。
場面イラスト(準備中)
現代語訳
〔詞書〕覚性法親王が亡くなって、一周忌の終わりに墓所へ行って詠みました歌。
どこがどうとも言えないまま思い続けて来てみると、今年の今日も、袖は涙に濡れたことだ。
意訳
なんということもなく、ずっと思い続けながら墓所へやって来た。去年の今日と同じように、今年の今日も、袖は涙で濡れている。
語釈・文法注
- そこはかと
- どこがどうと。はっきりと。
和歌
- 作者
- 慈円(じえん) 1155–1225
関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟、良経の叔父。天台座主を四度務めた。歴史書『愚管抄』を著した。率直で多彩な歌風で、『新古今和歌集』に西行に次ぐ九十二首が入る。家集に『拾玉集』がある。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第八・哀傷歌・841番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「覺性法親王かくれ侍りて、周忌のはてに墓所にまかりてよみ侍りける」(覚性法親王が亡くなって、一周忌の終わりに墓所へ行って詠みました歌)。
解説
慈円の歌。覚性法親王は鳥羽天皇の皇子で、仁和寺の門跡。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、152頁(コマ86)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日