新古今和歌集 巻第八 哀傷歌 785番
さらでだに
そうでなくてさえ露っぽい嵯峨の野辺に来て、昔の人の跡で、涙にしおれてしまうことだ。
場面イラスト(準備中)
現代語訳
〔詞書〕法輪寺に参詣するといって、嵯峨野に大納言忠家の墓がありましたあたりに行って詠みました歌。
そうでなくてさえ露っぽい嵯峨の野辺に来て、昔の人の跡で、涙にしおれてしまうことだ。
意訳
ただでさえ露の多い嵯峨野に来て、父の墓の前に立つと、涙にすっかり濡れしおれてしまう。
語釈・文法注
- さらでだに
- そうでなくてさえ。
- しをれ
- 濡れてぐったりする。
和歌
- 作者
- 藤原俊忠(ふじわらのとしただ) 1073–1123
藤原忠家の子で、俊成の父、定家の祖父。権中納言に至った。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第八・哀傷歌・785番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「法輪寺に詣うで侍るとて、嵯峨野に大納言忠家が墓の侍りける許にまかりてよみ侍りける」(法輪寺に参詣するといって、嵯峨野に大納言忠家の墓がありましたあたりに行って詠みました歌)。
解説
俊忠の歌。忠家は俊忠の父。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、140頁(コマ80)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日