新古今和歌集 巻第六 冬歌 705番
老の浪
老いの浪を越えてしまった身こそ、あわれだ。今年も今は、末の松山だ。
場面イラスト(準備中)
現代語訳
老いの浪を越えてしまった身こそ、あわれだ。今年も今は、末の松山だ。
意訳
老いという浪を越えて年を重ねたこの身がなんともあわれだ。今年ももう末の松山のように、終わりに近づいた。
語釈・文法注
- 老の浪
- 老いて顔に寄るしわを浪にたとえた語。
- 末の松山
- 陸奥国の歌枕。「末」を掛ける。
和歌
- 作者
- 寂蓮法師(じゃくれんほうし) 1139?–1202
俗名は藤原定長。藤原俊成の甥で養子となったが、定家が生まれると出家した。『新古今和歌集』の撰者に選ばれたが、完成前に没した。「三夕の歌」の一首「さびしさはその色としもなかりけり」で知られる。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第六・冬歌・705番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「土御門內大臣家にて、海邊歲暮といへる心をよめる」(土御門内大臣家で、「海辺歳暮(海辺の年の暮れ)」という心を詠んだ歌)。
修辞
- 三句切れ
- 三句切れ。
- 掛詞
- 「すゑ」に「末」と「末の松山」。
- 本歌取り
- 「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなむ」(古今集・東歌)をふまえる。
- 体言止め
- 体言止め。
解説
寂蓮の歌。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、123頁(コマ71)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日