新古今和歌集 巻第五 秋歌下 547番
夏草の
夏草を刈るではないが、かりそめのつもりで来たけれど、難波の浦で、秋が暮れてしまった。
場面イラスト(準備中)
現代語訳
〔詞書〕摂津の国におりました時、道済のもとに送った歌。
夏草を刈るではないが、かりそめのつもりで来たけれど、難波の浦で、秋が暮れてしまった。
意訳
ほんのかりそめのつもりで難波に来たのに、夏から秋まで過ごし、とうとう秋も暮れてしまった。
語釈・文法注
- 夏草の
- 「刈り」から「かりそめ」を導く。
- かりそめ
- 一時的。
和歌
- 作者
- 能因法師(のういんほうし) 988–1050?
俗名は橘永愷(ながやす)。若くして出家し、諸国を旅して歌を詠んだ。歌枕を集めた『能因歌枕』を著した。中古三十六歌仙の一人。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第五・秋歌下・547番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「津の國に侍りける頃、道濟がもとにつかはしける」(摂津の国におりました時、道済のもとに送った歌)。
修辞
- 序詞
- 「夏草の」が「かりそめ」を導く。
解説
能因法師の歌。底本は第三句を「來しかども」とするが、「来しやども」とする本もある。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、96頁(コマ58)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日