新古今和歌集 巻第五 秋歌下 469番
物思ふ
もの思いをする人の袖から、露は習ったのだろうか。秋風が吹くと、こらえきれずにこぼれるものだということを。
場面イラスト(準備中)
現代語訳
〔詞書〕百首歌を献上した時の歌。
もの思いをする人の袖から、露は習ったのだろうか。秋風が吹くと、こらえきれずにこぼれるものだということを。
意訳
秋風が吹くと露はこぼれ落ちる。それは、もの思いに沈む人の袖の涙から、こらえきれずにこぼれることを習ったからだろうか。
語釈・文法注
- ならひけむ
- 習ったのだろうか。
- たへぬ
- こらえきれない。
和歌
- 作者
- 寂蓮法師(じゃくれんほうし) 1139?–1202
俗名は藤原定長。藤原俊成の甥で養子となったが、定家が生まれると出家した。『新古今和歌集』の撰者に選ばれたが、完成前に没した。「三夕の歌」の一首「さびしさはその色としもなかりけり」で知られる。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第五・秋歌下・469番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「百首の歌奉りし時」(百首歌を献上した時の歌)。
修辞
- 倒置法
- 倒置法。
解説
寂蓮の歌。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、82頁(コマ51)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日