万葉集 巻第二十 4506〜4510番
高圓の 野の上の宮は
中臣清麻呂の家の宴で、興にまかせてそれぞれが高円の離宮の跡をしのんで作った歌五首。高円の野の宮は荒れてしまった、そこにおいでになった大君の御代が遠ざかったのでという家持の歌、宮は荒れても大君の御名を忘れようかという今城の歌、千代までも忘れることのない大君よという清麻呂の歌、大君がご覧になった野辺には標を結っておこうという家持の歌、高円の野辺を見るたびに声を上げて泣けてくるという甘南備伊香の歌。
場面イラスト(準備中)
題詞興に依りて各高圓の離宮處を思びて作れる歌五首
- 1高圓高圓たかまとののの多加麻刀能4506 家持
- 2野野ぬののの上上うえののの宮宮みやははは努乃宇倍能美也波
- 3荒荒あれれれにににけりけりけり安禮爾家里
- 4立立たたしたしたしししし君君きみののの多多志伎美能
- 5御代御代みよ遠遠とおぞけぞけぞけばばば美與等保曾氣婆
- 6高圓高圓たかまとののの多加麻刀能4507 大原今城
- 7峯峯おののの上上うえののの宮宮みやははは乎能宇倍乃美也波
- 8荒荒あれれれぬぬぬともともとも安禮奴等母
- 9立立たたしたしたしししし君君きみののの多多志志伎美能
- 10御名御名みな忘忘わすれれれめめめややや美奈和須禮米也
- 11高圓高圓たかまとののの多可麻刀能4508 中臣清麻呂
- 12野邊野邊ぬべはふはふはう葛葛くずののの努敝波布久受乃
- 13末末すえ終終ついににに須惠都比爾
- 14千代千代ちよににに忘忘わすれれれむむん知與爾和須禮牟
- 15我我わががが大君大君おおきみかもかもかも和我於保伎美加母
- 16はふはふはう葛葛くずののの波布久受能4509 家持
- 17絕絕たえええずずず偲偲しぬばばばむむん多要受之努波牟
- 18大君大君おおきみののの於保吉美能
- 19見見めしししししし野邊野邊ぬべにににははは賣之思野邊爾波
- 20標標しめ結結ゆふふうべしべしべしももも之米由布倍之母
- 21大君大君おおきみののの於保吉美之4510 甘南備伊香
- 22繼繼つぎぎぎててて見見めすすすらしらしらし都藝弖賣須良之
- 23高圓高圓たかまとののの多加麻刀能
- 24野邊野邊ぬべ見見みるるるごとごとごとににに努敝美流其等爾
- 25哭哭ねのののみみみししし泣泣なかかかゆゆゆ禰能未之奈加由
現代語訳
〔4506〕高円の野の上の宮は荒れてしまった。そこにお立ちになった大君の御代が遠ざかったので。
〔4507〕高円の峰の上の宮は荒れてしまっても、そこにお立ちになった大君の御名を忘れようか。
〔4508〕高円の野辺を這う葛の末のように、いつの日か、千代の後に忘れることがあろうか、わが大君を。
〔4509〕這う葛のように絶えることなく偲ぼう。大君がご覧になった野辺には、標を結っておくべきだ。
〔4510〕大君が引き続きご覧になっているらしい高円の野辺を見るたびに、声を上げて泣けてくる。
意訳
聖武天皇がしばしば訪れた高円の離宮も、天皇の崩御の後は荒れてしまった。宴の客たちが、それぞれに亡き聖武天皇をしのんで詠んだ歌である。
語釈・文法注
文法・本文
- 高圓の離宮處
- 平城京の東、高円山の麓にあった聖武天皇の離宮の跡。
- 立たしし君
- お立ちになった大君。聖武天皇。
- 遠ぞけば
- 遠ざかったので。
- 末終に
- 「すゑつひに」。最後の最後まで。
- 見しし
- ご覧になった。
- 標結ふ
- 「しめゆふ」。しるしの縄を張る。
- 見すらし
- ご覧になっているらしい。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第二十・部立なし・4506〜4510番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平宝字2年2月、中臣清麻呂の家の宴で、聖武天皇をしのんで高円の離宮跡を思って作った歌。
修辞
- 序詞
- 4508番の「高圓の野邊はふ葛の」が「末終に」を導く。
- 枕詞
- 4509番の「はふ葛の」が「絕えず」にかかる。
解説
聖武太上天皇は天平勝宝8年(756)5月に崩御した。家持には、高円の離宮をしのぶ歌がほかにもある。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、752頁(コマ169)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、889頁(コマ208)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日