万葉集 巻第二十 4457〜4459番
住吉の 濱松が根の
天平勝宝8年、聖武太上天皇と光明皇太后が河内の離宮から難波宮に移った時、3月7日に河内国伎人郷の馬国人の家で宴をした歌三首。住吉の浜松の根が下に延びるように、心ひそかに私が見ている小野の草を刈らないでという家持の歌、息長川が絶えることがあっても、あなたに語る言葉が尽きることがあろうかという主人馬国人の歌、蘆を刈りに堀江を漕ぐ楫の音は、大宮人がみな聞くまでに響くという大原今城が以前に詠んだ歌。
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題詞天平勝寶八歳丙申二月朔乙酉二十四日戊申、太上天皇・太后、河内の離宮に幸行して、信を經、壬子を以て難波宮に傳幸す。三月七日、河内國伎人郷の馬國人が家にて宴の歌三首
- 1住吉住吉すみのえののの須美乃江能4457 家持
- 2濱濱はま松松まつががが根根ねののの波麻末都我根乃
- 3下下した延延ばへへえててて之多婆倍弖
- 4我我わががが見見みるるる小野小野おのののの和我見流乎努能
- 5草草くさななな刈刈かりりりそそそねねね久佐奈加利曾禰
- 6鳰鳥鳰鳥におどりののの爾保杼里乃4458 馬国人
- 7息長息長おきなが河河がわははは於吉奈我河波半
- 8絕絕たえええぬぬぬともともとも多延奴等母
- 9君君きみににに語語かたらららむむん伎美爾可多良武
- 10言言こと盡盡つきききめめめやもやもやも己等都奇米也母
- 11蘆蘆あし刈刈かりりりににに蘆苅爾4459 大原今城
- 12堀江堀江ほりえ漕漕こぐぐぐなるなるなる保里江許具奈流
- 13楫楫かじのののおとおとおとははは可治能於等波
- 14大宮人大宮人おおみやびとののの於保美也比等能
- 15皆皆みな聞聞きくくくまでまでまでににに未奈伎久麻泥爾
現代語訳
〔4457〕住吉の浜松の根が下に延びているように、心ひそかに私が見ている小野の草を、刈らないでおくれ。
〔4458〕(鳰鳥の)息長川が絶えることがあっても、あなたにお話しする言葉が尽きることがありましょうか。
〔4459〕蘆を刈りに堀江を漕いでいるらしい楫の音は、大宮人がみな聞くほどに響いている。
意訳
太上天皇の行幸に従った官人たちが、河内の豪族の家で宴をした歌である。家持は主人の家の野辺をほめ、主人は尽きない語らいを約し、池主は今城が以前詠んだ難波の堀江の歌を披露した。
語釈・文法注
文法・本文
- 住吉
- 「すみのえ」。摂津国の地名。
- 下延へて
- 心の中でひそかに思って。
- 草な刈りそね
- 草を刈らないでおくれ。
- 鳰鳥の
- 「息長」にかかる枕詞。鳰鳥は長く息を止めて水に潜る。
- 息長河
- 近江国の川。
- 言盡きめやも
- 言葉が尽きることがあろうか。
- 漕ぐなる
- 漕いでいるらしい。音で判断する「なり」。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第二十・部立なし・4457〜4459番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平勝宝8年3月7日、聖武太上天皇の河内・難波への行幸に従った官人たちが、河内国伎人郷の馬国人の家で宴をした時の歌。
修辞
- 序詞
- 4457番の「住吉の濱松が根の」が「下延へて」を導く。
- 枕詞
- 4458番の「鳰鳥の」。
解説
聖武太上天皇はこの年の5月に崩御する。これが最後の行幸となった。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、743頁(コマ164)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、878頁(コマ203)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日