万葉集 巻第二十 4347〜4359番
家にして 戀ひつつあらずは
天平勝宝7年2月、上総国の防人たちの歌十三首。家で恋しがっているよりは、お前の腰の刀になってでも身を守ってやりたいという父の歌、母と別れて旅の仮小屋で安らかに眠れるだろうかという歌、多くの曲がり角の道を来たのにさらに多くの島を過ぎて別れて行くのかという歌、庭の阿須波の神に柴を挿して帰るまで身を慎もうという歌、旅衣を重ねて寝てもなお肌寒い、妻ではないのでという歌、茨にからまる豆のような君を離れて行くのかという歌、家からの風は毎日吹くのに妻の言づてを持って来る人もないという歌、出発の騒ぎに逢った妻の心は忘れられないという歌、難波潟から雲の彼方に見える島ではないのに遠く見て過ごすのかという歌、母が袖を持って撫でて泣いた心が忘れられないという歌、蘆垣の隅に立って妻が袖も濡れるほど泣いたのが思われるという歌、命令を受けて出て来るとき取りすがって言った妻よという歌、筑紫へ向かう船はいつ務めを終えて故郷へ舳先を向けるだろうかという歌。
題詞(上總國の防人の歌)
- 1家家いえにににしししててて伊閉爾之弖4347 三中の父
- 2戀戀こひひいつつつつつつあらあらあらずずずははは古非都都安良受波
- 3汝汝なががが佩佩はけけけるるる奈我波氣流
- 4刀刀たちににになりなりなりてててももも多知爾奈里弖母
- 5齋齋いわひひいてててしがしがしがももも伊波非弖之加母
- 6たらちねたらちねたらちねののの多良知禰乃4348 日下部三中
- 7母母ははををを別別わかれれれててて波波乎和加例弖
- 8まことまことまこと我我われ麻許等和例
- 9旅旅たびののの假廬假廬かりおににに多非乃加里保爾
- 10安安やすくくく寐寐ねむむむかもかもかも夜須久禰牟加母
- 11百隈百隈ももくまののの毛母久麻能4349 刑部三野
- 12道道みちははは來來きにににしししををを美知波紀爾志乎
- 13またまたまた更更さらににに麻多佐良爾
- 14八十八十やそ島島しま過過すぎぎぎててて夜蘇志麻須義弖
- 15別別わかれれれかかか行行ゆかかかむむん和加例加由可牟
- 16庭中庭中にわなかののの爾波奈加能4350 若麻続部諸人
- 17阿須波阿須波あすはののの神神かみににに阿須波乃可美爾
- 18木柴木柴こしばさしさしさし古志波佐之
- 19吾吾あれははは齋齋いわははわむむん阿例波伊波波牟
- 20歸歸かえりりり來來くまでまでまでににに加倍理久麻低爾
- 21旅旅たび衣衣ころも多比己呂母4351 玉作部国忍
- 22八重八重やえ著著き重重かさねねねててて夜部伎可佐禰弖
- 23寢寢いぬれぬれぬれどもどもども伊努禮等母
- 24なほなほなお膚膚はだ寒寒さむししし奈保波太佐牟志
- 25妹妹いもにににしししあらあらあらねねねばばば伊母爾志阿良禰婆
- 26道道みちののの邊邊へののの美知乃倍乃4352 丈部鳥
- 27荊荊うまらののの末末うれににに宇萬良能宇禮爾
- 28はほはほはほ豆豆まめののの波保麻米乃
- 29からまるからまるからまる君君きみををを可良麻流伎美乎
- 30離離はかれれれかかか行行ゆかかかむむん波可禮加由加牟
- 31家家いえ風風かぜははは伊倍加是波4353 丸子大歳
- 32日日ひににに日日ひににに吹吹ふけけけどどど比爾比爾布氣等
- 33吾妹子吾妹子わぎもこががが和伎母古賀
- 34家家いえ言言ごと持持もちちちててて伊倍其登母遲弖
- 35來來くるるる人人ひともももなしなしなし久流比等母奈之
- 36立立たち鴨鴨こもののの多知許毛乃4354 丈部与呂麻呂
- 37發發たちちちののの騷騷さわぎぎぎににに多知乃佐和伎爾
- 38相相あい見見みてててししし阿比美弖之
- 39妹妹いもががが心心こころははは伊母加己己呂波
- 40忘忘わすれれれ爲爲せぬぬぬかもかもかも和須禮世奴可母
- 41外外よそにににのみのみのみ余曾爾能美4355 丈部山代
- 42見見みてててややや渡渡わたらららももも美弖夜和多良毛
- 43難波難波なにわ潟潟がた奈爾波我多
- 44雲居雲居くもいににに見見みゆるゆるゆる久毛爲爾美由流
- 45島島しまならならならなくなくなくににに志麻奈良奈久爾
- 46我我わががが母母ははののの和我波波能4356 物部乎刀良
- 47袖袖そで持持もちちち撫撫なでででててて蘇弖母知奈弖氐
- 48我我わががが故故からににに和我可良爾
- 49泣泣なきききししし心心こころををを奈伎之許己呂乎
- 50忘忘わすらららえええぬぬぬかもかもかも和須良延努可毛
- 51蘆蘆あし垣垣かきののの阿之可伎能4357 刑部千国
- 52隈所隈所くまとににに立立たちちちててて久麻刀爾多知弖
- 53吾妹子吾妹子わぎもこががが和藝毛古我
- 54袖袖そでもももしほほしほほしおおににに蘇弖毛志保保爾
- 55泣泣なきききしししぞぞぞ思思もははわゆゆゆ奈伎志曾母波由
- 56大君大君おおきみののの於保伎美乃4358 物部竜
- 57命命みことかしこみかしこみかしこみ美許等加志古美
- 58出出いででで來來くれれればばば伊弖久禮婆
- 59我我わぬぬぬ取取とりりり著著つきききててて和努等里都伎弖
- 60言言いひひいししし子子こなななはははももも伊比之古奈波毛
- 61筑紫筑紫つくし方方へににに都久之閉爾4359 若麻続部羊
- 62舳舳へ向向むかるるる船船ふねののの敝牟加流布禰乃
- 63何時何時いつしかしかしかももも伊都之加毛
- 64仕仕つかへへえ奉奉まつりりりててて都加敝麻都里弖
- 65本郷本郷くにににに舳舳へ向向むかかかももも久爾爾閉牟可毛
現代語訳
〔4347〕家にいて恋しがっているよりは、お前が腰に帯びている刀になってでも、お前の身を守ってやりたいものだ。
〔4348〕(たらちねの)母と別れて、本当に私は、旅の仮小屋で安らかに眠れるだろうか。
〔4349〕たくさんの曲がり角のある道は来たのに、さらにまた多くの島を過ぎて、別れて行くのだろうか。
〔4350〕庭の中の阿須波の神に柴を挿して、私は身を慎んで祈ろう。帰って来るまで。
〔4351〕旅の衣を幾重にも重ね着して寝たけれど、やはり肌寒い。妻ではないので。
〔4352〕道のほとりの茨の先にからまる豆のように、まつわりつく君を、離れて行くのだろうか。
〔4353〕家の方からの風は毎日吹くけれど、妻からの言づてを持って来る人もいない。
〔4354〕(立鴨の)出発の騒ぎの中で逢った妻の心は、忘れることができない。
〔4355〕よそながら見てばかり過ごすのだろうか。難波潟から雲の彼方に見える島ではないのに。
〔4356〕私の母が袖を持って撫でて、私のために泣いた心が忘れられないことだ。
〔4357〕蘆垣の隅に立って、妻が袖もぐっしょり濡れるほど泣いたのが思われる。
〔4358〕大君のご命令を恐れ謹んで出て来ると、私に取りすがって言ったあの子は、ああ。
〔4359〕筑紫の方に舳先を向けている船は、いつになったら務めを果たして、故郷に舳先を向けるのだろうか。
意訳
上総国の防人たちの歌で、父が子の身を案じて刀になって守りたいと詠む歌から始まり、母や妻との別れ、旅寝の寂しさ、帰郷への思いを詠む。茨にからまる豆、取りすがる妻、袖を撫でる母など、別れの場面が具体的に描かれる。
語釈・文法注
文法・本文
- 戀ひつつあらずは
- 恋しがっているよりは。
- 齋ひてしがも
- 守ってやりたい。
- 百隈
- 「ももくま」。たくさんの曲がり角。
- 阿須波の神
- 「あすはのかみ」。庭や屋敷の神。
- 木柴
- 「こしば」。柴。
- 膚
- 「はだ」。肌。
- 荊
- 「うまら」。茨。東国語形。
- はほ豆
- 這う豆、からまる豆。
- 離れ
- 「はかれ」。「はなれ」の東国語形。
- 家言
- 「いへごと」。家からの言づて。
- 立鴨の
- 「たちこもの」。「立ち」にかかる枕詞。「こも」は鴨の東国語形。
- 渡らも
- 「わたらむ」の東国語形。
- 隈所
- 「くまと」。隅。
- しほほに
- ぐっしょりと。
- 思はゆ
- 「もはゆ」。思われる。東国語形。
- 我ぬ
- 「わぬ」。私に。東国語形。
- 子なはも
- あの子は、ああ。
- 筑紫方
- 「つくしへ」。筑紫の方。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第二十・部立なし・4347〜4359番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平勝宝7年2月、上総国の防人たちが詠み、防人部領使が進上した歌。
修辞
- 序詞
- 4352番の「道の邊の荊の末にはほ豆の」が「からまる」を導く。
- 東国方言
- 「うまら」「はかれ」「こも」「もはゆ」「わぬ」などの東国の言葉を交える。
解説
4347番は防人の父が子に贈った歌で、防人歌の中に家族の歌も含まれている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、725頁(コマ155)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、854頁(コマ191)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日